ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前1503年、古代エジプトで第18王朝のハトシェプスト女王が即位した。


ハトシェプスト女王葬祭殿

古代エジプトの建築物といえば、ギザのピラミッドサッカラの階段ピラミッドが格段に名高いよね。そんなピラミッドを最後に築いたのが第18王朝の王アハメス1世だった。

王家の墓の近くに残るハトシェプスト女王葬祭殿(エジプト)

でも、古代エジプトはピラミッド以外にも多くの壮大な建築物を残している。その一つが上の画像にあるハトシェプスト女王葬祭殿なんだ。築いたのは第18王朝の第5代の王(ファラオ)となったハトシェプスト女王だった。

交易によってエジプトを繁栄させた女王

第18王朝の3代目の王トトメス1世の王女として生まれた彼女は、4代目の王トトメス2世の王妃となった。そのトトメス2世が後継者としたのがトトメス3世。しかし、トトメス2世が亡くなった時、3世はまだ幼かった。そんなわけで古代エジプトの実権を握り、更には自ら王(ファラオ)となったのが、ハトシェプスト女王だった。ちなみに、トトメス3世は2世の王子ではあったけれども、母親はハトシェプストではなく、側室の女性だったとか。

継子トトメス3世の権力を簒奪した ・・・ との説もあるハトシェプスト女王だったけれども、その治世は平和外交を中心としたものだった。異民族ヒクソスの支配下にあったころに破壊された交易ルートを復活させ、交易によってエジプトに繁栄をもたらしたらしい。(ちなみに、異民族ヒクソスを駆逐したのが彼女の曽祖父にして第18王朝初代のアハメス1世だった。)

王家の墓の近くに残るハトシェプスト女王葬祭殿の壁画に描かれた航海の様子(エジプト)

彼女が復活させた交易の中でも特筆すべきは、プント国(今のソマリアあるいはスーダンとされる)とのものだった。ハトシェプスト女王はプント国に数隻の船からなる船団を派遣して貿易を行ったらしい。(上の画像は彼女の葬祭殿の壁画に描かれた航海の様子。)

ハトシェプスト女王が残したオベリスク

周辺諸国との平和強調外交を追及したハトシェプスト女王ではあったけれども、全く戦争をしなかったわけではない。例えばエジプト南部のアスワン付近に軍を派遣し、ヌビア人と戦ったこともあるらしい。

アスワンに残された切りかけのオベリスク(エジプト)

そんなアスワンに彼女が残したのが、上の画像にある切りかけのオベリスク。アスワンは古来より石材の産地なんだけど、そこでオベリスクを切り出そうとしたらしい。ところが、作業の途中で割れてしまい、そのまま放置したんだそうな。

ちなみに、ハトシェプスト女王はエジプト全土で建設工事を行ったらしいけど、ルクソール(古都テーベ)近くにあるカルナック神殿にも、彼女のオベリスクが残されているんだ。

古代エジプトの女王

ハトシェプスト女王は50歳前後で亡くなっている。虫歯を抜いた傷跡に菌が入り込み、その菌が体内に広がって亡くなったとされている。でも、腫瘍や糖尿病などを患っていたとの説もあるんだけどね。

そんな彼女が亡くなった後、ようやく実権を手にした継子のトトメス3世は、ハトシェプスト女王葬祭殿を含む多くの建築物や記録から彼女の名前を削り取ったらしい。実権を奪われていたことに対する報復だとする説もあれば、エジプトを女性が統治したことを記録から消し去ろうとしたとの説もあるらしいよ。

とはいえ、古代エジプトで王(ファラオ)となった女性は彼女が最初ではなかった。古王国時代の第1王朝、第3王朝、そして第6王朝にも女王がいたんだそうな。

エジプトの煙草クレオパトラのパッケージ

そんな古代エジプトで王(ファラオ)となった最後の女性が、あの有名なクレオパトラ(正しくはクレオパトラ7世)なんだそうな。上の画像はそんなクレオパトラの名をつけられたエジプトの煙草のパッケージなんだけど、描かれている女性は現代のエジプト人のイメージするクレオパトラ像なのかな。

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