ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦493年頃、東ゴート族のテオドリック王が、オドアケルを破ってラヴェンナに入城した。


西ローマ帝国の最後の都 ラヴェンナ

ラヴェンナのイタリア北部の略図 西ローマ帝国の都といえば、今もイタリアの首都となっているローマに決まっている !! と思う人もいるかな。

ところが西ローマ帝国の崩壊前の時期は違ったんだ。一時期はミラノに置かれていた西ローマ帝国の都は、西暦402年にはラヴェンナ(右の画像を参照)に移されていたんだ。

そして西暦475年に最後の西ローマ帝国の皇帝となったロムルスも、即位したのはラヴェンナだった。

その翌年の西暦476年に西ローマ帝国を滅亡させたゲルマン系のオドアケルが、イタリア支配の拠点としたのもラヴェンナだった。

東ゴート族 テオドリック王によるイタリア支配

西暦489年、東ローマ皇帝ゼノンの意向を受けた東ゴート族が、テオドリック王に指揮されてイタリアに侵入し、オドアケル軍と戦いを交えた。

西暦490年、西ゴート族の支援を得て攻勢に出た東ゴート族のテオドリック王に敗れ、オドアケルがラヴェンナに立て籠もった。

西暦493年、東ゴート族の王テオドリックが、ついにラヴェンナに入城を果たした。その10日後、オドアケルは処刑された。以後、テオドリックは「イタリアの王」を称した。

西暦497年、東ローマ帝国のアナスタシウス帝が、テオドリックによるイタリア支配を承認した。




サン・ヴィターレ教会(ラヴェンナ)

ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会(イタリア) ラヴェンナを拠点にイタリアの支配者となった東ゴート王テオドリックは、アリウス派を信仰する東ゴート族の人々の為に教会を建立した。

右の画像は、テオドリック王によって建立され、西暦526年に完成したラヴェンナのサン・ヴィターレ教会(聖ヴィターレ教会)の様子。

しかし、やがて東ゴート族によるイタリア支配は崩壊する。アリウス派のためのサン・ヴィターレ教会も、西暦547年にはカトリックのための教会として聖別されたんだ。

サン・ヴィターレ教会の6世紀のモザイク

今もラヴェンナに残るサン・ヴィターレ教会は、多くの観光客を集めている。彼らの主なお目当ては6世紀のモザイク画なんだ。下の画像にあるのは、サン・ヴィターレ教会の多くのモザイク画の一つ「アブラハムの供犠(イサクの犠牲)」。

サン・ヴィターレ教会のモザイク画「アブラハムの供犠(イサクの犠牲)」(ラヴェンナ、イタリア)

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