ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦537年12月27日、コンスタンティノープルにおいて、ユスティニアヌス帝がアヤ・ソフィア大聖堂を完成させた。


イスタンブール(コンスタンティノープル)の
アヤ・ソフィア大聖堂

トルコ古都イスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)の観光の目玉の一つが、アヤ・ソフィア大聖堂だよね。現代に残るアヤ・ソフィア大聖堂は、古代ローマ帝国(あるいはビザンティン帝国)の皇帝ユスティニアヌスによって建てられたものなんだ。

西暦537年12月27日、アヤ・ソフィア大聖堂の完成を見たユスティニアヌス帝は、ソロモン王を越えたと言った。つまり、旧約聖書に載っているソロモン王の神殿をしのぐ大聖堂を完成させたと言ったわけだ。そのアヤ・ソフィア大聖堂の現在の様子が下の画像。

イスタンブールに残るアヤ・ソフィア大聖堂(トルコ)

崩壊と再建が繰り返されたアヤ・ソフィア大聖堂

西暦330年に古代ローマ帝国の都を現在のイタリアの首都ローマからコンスタンティノープルに移したコンスタンティヌス帝は、かつてギリシャの神殿があった場所にキリスト教の教会を建てることを言い残してこの世を去ったんだ。

そして西暦360年、コンスタンティヌス帝の息子のコンスタンティウス帝(あるいはコンスタンツ2世)によって、コンスタンティノープルにアヤ・ソフィア大聖堂が完成した。

ところが西暦404年、火災によってアヤ・ソフィア大聖堂が焼失。やがて、テオドシウス帝によって再建された。更に西暦532年、ニカの乱によってアヤ・ソフィア大聖堂が崩壊した。その後、ユスティニアヌス帝が完成させたのが現在に残るアヤ・ソフィア大聖堂なんだ。




ユスティニアヌス帝の地下宮殿
(イスタンブール、トルコ)

ソロモン王の神殿をしのぐとさえ考えられた壮大なアヤ・ソフィア大聖堂を建てたユスティニアヌス帝は、もう一つの観光名所をイスタンブールに残している。

イスタンブールの残る地下宮殿(トルコ) それが右の画像にある地下宮殿なんだ。但し、これは正しくは宮殿じゃなくて、地下の貯水池。でも、336本も林立する石柱の様子が宮殿に見えることから、「地下宮殿」と称されているわけだ。

壮大なアヤ・ソフィア大聖堂を築いたユスティニアヌス帝の建築物なんだから、この地下宮殿もさぞかし立派な...と思えば、さにあらず。

この地下宮殿は、古代を代表するリサイクルの記念碑となっているんだ。

つまり、この地下宮殿の建設に用いられた石材は、全て古代ギリシャ・ローマの建築物から再利用されたもの。例えば下の画像は、円柱の土台として使われているメデューサの首なんだけど、横向きになっちゃっている。

イスタンブールに残る地下宮殿のメデューサの首(トルコ)

人目につくアヤ・ソフィア大聖堂には資金を惜しまずに注ぎ込んだユスティニアヌス帝も、誰の目にも触れない地下の貯水池には予算をケチったんだろうか。ところが、今では多くの観光客が地下宮殿を訪れている。ユスティニアヌス帝のケチが、たくさんの人々の目に触れているわけだ。

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