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西暦756年、アブドゥッラフマーン1世がスペイン南部のコルドバに後ウマイヤ朝を樹立した。
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イベリア半島(スペイン)に上陸したイスラム教徒が
コルドバを征服し、やがて西ゴート王国を征服
西暦711年、アフリカ北岸からイベリア半島(スペインとポルトガル)に上陸したイスラム教徒は、ゲルマン人の一派である西ゴート族が建国した西ゴート王国を征服したんだ。
イスラム教徒は、いくつかの軍団に分かれてイベリア半島を征服して回ったんだけど、そのムギースという将軍の部隊が征服したのが、後に後ウマイヤ朝の首都となるコルドバだった。(下の画像に写っているのが、グアダルキビル川とコルドバの街。)
アブドゥッラフマーン1世による後ウマイヤ朝建国
西アジアから北アフリカ・イベリア半島まで征服したイスラム教徒の勢いは止めることもできないかと思われたんだ。彼らの部隊はフランス南部のプロヴァンス地方にまで進出し、果てはフランスとイタリアとの国境近くの村エズまで征服したほどだからね。そこまで来れば、中世ヨーロッパの中心であるイタリア、そしてカトリックの中心であるローマも目と鼻の先だった。
ところが、「驕る平氏は久しからず」というのは、洋の東西を問わないみたい。当時のイスラム世界の支配者ウマイヤ朝は、西暦750年にアッバース朝によって滅亡させられてしまったんだ。
では、アッバース朝がイスラム世界全体の支配者となったかと言えば、そうではない。アッバース朝の追っ手を逃れたアブドゥッラフマーン1世(かつてウマイヤ朝のカリフだったヒシャームの孫)は、シリアからエジプトを経由して北アフリカに逃れ、母の出身部族であるベルベル族にかくまわれた。
その後、西暦755年、アブドゥッラフマーン1世はイベリア半島(スペイン)に渡った。そこでウマイヤ朝支持者を集めた彼は、西暦756年にアッバース朝の総督の手からコルドバを奪い取り、後ウマイヤ朝を樹立したわけだ。
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