ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1075年、アマルフィがイタリア南部を支配するヴァイキング系のノルマン人に従属した。


独立を宣言したイタリア南部の街アマルフィ

イタリア南部の中心都市ナポリサレルノからも近いアマルフィの街は、西暦839年にランゴバルド族の公の支配を打破し、独立を宣言した。

イタリア南部の街アマルフィの風景

上の画像が今のアマルフィの風景なんだけど、画像の左端近くに見えているのが多くの観光客を集めるアマルフィ大聖堂の鐘塔だね。

中世イタリアを代表する海洋都市国家アマルフィ

独立を獲得したアマルフィは地中海貿易に乗り出して繁栄し、中世イタリアを代表する海洋都市国家となっていった。彼らはオリエントにも拠点を築いていたらしい。彼らは11世紀半ばには聖地エルサレムに病院を設立し、巡礼たちに治療を提供したそうな。

その病院組織が後にロードス島やマルタ島でオスマン・トルコと戦った聖ヨハネ騎士団の母体となったわけだ。(今の聖ヨハネ騎士団の本部はイタリアの首都ローマスペイン階段近くのコンドッティ通りにある。)

ところで、下の画像なんだけど、アマルフィの港近くにひるがえっていた旗を撮影したもの。一番左に見えているのはアマルフィの旗なんだ。八角十字をあしらっているところは、聖ヨハネ騎士団と同じだよね。

アマルフィに翻っていた中世イタリアの海洋都市国家の旗

ついでながら、一番右端に見えているのはイタリアの旗。右から二番目の旗は守護聖人サン・マルコの象徴であるライオンをあしらったヴェネツィア、その次は斜塔で有名なピサの旗、左から二番目はイングランドと同じく聖ジョージを守護聖人とするジェノヴァの旗。

つまり、上の画像の四つの旗は、中世イタリアの四大海洋都市国家の旗というわけだね。ちなみに、今もイタリアの軍艦や商船はこの四大海洋都市国家のデザインをあしらった旗を翻しているらしいよ。

ヴァイキング系のノルマン人に従属したアマルフィの衰退

ピサ・ジェノヴァ・ヴェネツィアに先んじて発展したアマルフィが成立させた海や航海についての法典は、やがて広く各国の従うものとなったんだそうな。ところが、イタリア南部ではヴァイキング系のノルマン人が勢力を拡大し、西暦1075年にはアマルフィもノルマン人に従属せざるを得なくなった。

独立を失ったアマルフィは、更に西暦1135年と1137年にはライバルの海洋都市国家ピサの襲撃を受けている。その後、アマルフィは次第に衰退していったんだそうな。

イタリア南部の街アマルフィ近くの海辺の岩山に残るノルマン人の城砦

ちなみに、当時の地中海ではイスラムの海賊たちがあちこちを襲撃していた。そんなイスラムの海賊たちに対する守りを固める為にアマルフィ周辺にもいくつもの城砦が築かれたんだそうな。上の画像はアマルフィ近くにノルマン人が築いた城砦の一つなんだ。

多くの観光客が訪れる今のアマルフィ

シシリア島を支配してイスラム文化の影響を受けたノルマン人たちは、支配下に置いたアマルフィにイスラム的な装飾を取り入れた建物などを残している。アマルフィ大聖堂の鐘塔天国の回廊(キオストロ・デル・パラディーゾ)がその代表かな。

イタリア南部の街アマルフィの夜景

そんなこんなで歴史の香り豊かなアマルフィには、多くの観光客が訪れる。上の画像はにぎやかなレストランが並ぶアマルフィの海辺の夜景なんだ。ついでながら、アマルフィはシーフードが美味い。そんな料理にはイタリア南部のカンパーニャ地方のドライな白ワインがぴったりだよ。

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