中世の面影を残す街 ルツェルン(スイス)中世から自主独立の道を歩んできたスイス。そのスイスもかつては、ハプスブルク家の支配を受けていたことがある。
そんなハプスブルク家支配下のスイスで、西暦1178年にルツェルンの街が築かれた。ルツェルンの街は、今でも中世の面影を残している。例えば右の画像は、1386年に築かれたムゼック市壁なんだ。かつては、こんな城壁がルツェルンの街を囲んでいたらしいよ。 もちろん、ルツェルン市内にも、歴史ある建物が残されている。下左の画像は、1666年に建てられたバロック式のジェズイット教会の内部。下右の画像は、ルツェルン大聖堂。
カントン同盟とスイスの独立西暦1332年、ルツェルンの街はカントン同盟に参加した。西暦1291年に結成されたカントン同盟は、当時のスイスの支配者ハプスブルク家の圧力に対抗するためのスイス諸都市の間の同盟なんだ。15世紀には、スイスの中心都市チューリヒが一時カントン同盟を離脱するなんてこともあったんだけど、カントン同盟はハプスブルク家と戦いを続けたんだ。そして西暦1499年、ハプスブルク家のマクシミリアン1世が、スイスの独立を非公式ながらも認めた。 17世紀に入ると、ヨーロッパでは三十年戦争が起こり、各地で戦いが続いたんだ。他方、その戦争で中立を保ったスイスは、経済的に発展することが出来たわけだ。そして、三十年戦争の終わりを告げる西暦1648年のウェストファリア条約において、スイスの独立が公式に認められた。 でも、アルプスの国スイスは、その後も山の中の平和な国だったというわけでもないんだ。18世紀末にはナポレオン軍が侵入してスイス連邦が崩壊し、その復活は西暦1815年のウィーン会議まで待たなきゃいけなかった。また、新旧両派のキリスト教の争いで、19世紀半ばには内戦状態に陥ったこともあるんだ。 様々な争いを乗り切って築かれた永世中立国スイス。今は平和なアルプスの国だけど、それでも武装を放棄してはいない。彼らは、平和を守るために「戦う」覚悟を保ち続けているんだね。 |
スイスでも夏は暑いぞ !!
話をルツェルンの街に戻そう。右の画像は、14世紀にかけられたカペル橋。ヨーロッパ最古の木の橋なんだそうな。但し、残念なことに1994年に火災に遭い、一部は真新しい白木で修復されていたんだ。 ところで右の画像の私の様子なんだけど、扇子を持って暑そうでしょ。 遠くにアルプスの見えるスイスの街ルツェルンなんだけど、夏はやっぱり暑いんだ。で、ルツェルンの街の歴史とはさほど関係もないけど、サービスに下の画像も付けちゃう。スイスの観光地グリンデルヴァルドから見上げたアルプスの山々の様子です。少し涼しくなったかな ?? |
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