ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1298年、アラゴン・カタルーニャ連合王国のバルセロナ(スペイン)で、聖エウラリア大聖堂の建設が始まった。


アラゴン・カタルーニャ連合王国の街バルセロナ

西暦1137年、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲール4世とアラゴン王家のペトロニーラ王女が結婚し、アラゴン・カタルーニャ連合王国が成立した。

スペイン略図

スペイン北東部カタルーニャ地方の街バルセロナは、中世のアラゴン・カタルーニャ連合王国の中心的な街だった。そのバルセロナを拠点として、アラゴン・カタルーニャ連王王国は地中海の雄として発展した。西暦1229年にはマジョルカ島をイスラム教徒から奪い取り、西暦1280年にはチュニスを占領し、西暦1282年にはシチリア島をも領有している。

バルセロナの大聖堂

そんな上り坂のアラゴン・カタルーニャ連合王国のバルセロナの大聖堂の建設が始まったのは、西暦1298年のことだった。(下の画像はクリスマス前のバルセロナの大聖堂の前の広場の様子。)

スペインのカタルーニャ地方の州都バルセロナの聖エウラリア大聖堂

そんなバルセロナの大聖堂が完成したのは、西暦1448年のことだった。その時点では既にアラゴン・カタルーニャ連合王国は衰退に向かいつつあったんだ。西暦1347年にフランス南部プロヴァンス地方港町マルセイユに上陸したペスト(黒死病)がカタルーニャ地方でも猛威をふるったこともあった。イナゴの大群に襲われたこともあった。農民の反乱もあった。由緒あるバルセロナ伯の血筋が途絶えたこともあった。そんなこんなで踏んだり蹴ったりだったんだ。

聖エウラリア大聖堂と海の聖母マリア教会

ところで、バルセロナの大聖堂なんだけど、正しくは聖エウラリア大聖堂と呼ばれている。バルセロナの守護聖人ともなっている聖エウラリアは、西暦304年に古代ローマ帝国によるキリスト教徒迫害によって殉教した人物なんだそうな。

ところが、西暦711年に北アフリカからジブラルタルを経てイスラム教徒が侵攻してきた際に聖エウラリアの遺骸を隠したんだけど、その後の混乱の中で遺骸の隠し場所がわからなくなってしまった。

そして13世紀、行方がわからなくなっていた聖エウラリアの遺骸がバルセロナの海辺の洞窟で発見された。その遺骸はバルセロナの大聖堂に葬られたんだ。故に聖エウラリア大聖堂と呼ばれるわけだ。

スペインのカタルーニャ地方の州都バルセロナの海の聖母マリア教会

ちなみに、聖エウラリアの遺骸が発見されたバルセロナの海辺の洞窟の場所には、海の聖母マリア教会(上の画像)が建てられた。バルセロナの港に停泊する船乗りたちの心の支えになった教会なんだそうな。

バルセロナの大聖堂の回廊に再現されたキリスト生誕

私たちがバルセロナの大聖堂を訪れたのはクリスマスの頃のことだったんだけど、大聖堂の中の回廊にはキリスト生誕の様子が人形で再現されていたよ。(下の画像。)

スペインのカタルーニャ地方の州都バルセロナの聖エウラリア大聖堂の回廊に再現されたキリスト生誕

大聖堂の前の広場には多くの店が出て、クリスマスの飾りなどのクリスマス用品を売っていたね。

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