ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1404年、フランスのヴァロワ家系初代ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)死去。


フランス王シャルル5世賢王死去

西暦1363年にヴァロワ家系初代ブルゴーニュ公となったフィリップ・ル・アルディ(大胆公あるいは豪胆公)は、百年戦争においてフランスのために戦っていた。しかし、西暦1380年に大聖堂で有名なシャルトル付近で戦っていたとき、フランス王シャルル5世賢王の健康状態が悪化したとの報せを受けたんだ。

急いでフランスの首都パリに向かったブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ。しかし、兄であるシャルル5世賢王は9月16日に亡くなってしまった。

その後、兄の息子であるシャルル6世がフランス王となったけれども、ブルゴーニュ公フィリップ大胆公の立場あるいは姿勢は微妙に変化していく。若い国王シャルル6世を補佐する叔父たち、つまりアンジュー公ルイ、ベリー公ジャン、そしてブルゴーニュ公フィリップの3人が勢力争いを始めてしまったんだ。

ブルゴーニュ公フィリップ大胆公によるフランドル獲得

それでもブルゴーニュ公フィリップ大胆公はフランス王家とともに行動していた。例えば、西暦1382年にフランドル(今のベルギー)で市民の反乱が起こった際には、フランス国王軍とともに反乱鎮圧に出兵している。

ブルゴーニュの中心都市ディジョンのノートルダム教会にあるジャックマール(フランス) その際、ブルゴーニュ公フィリップ大胆公が戦利品として持ち帰ったのが、有名なクールトレーの仕掛け時計「ジャックマール」だった。

「ジャックマール」持ち帰ったフィリップ大胆公は、その時計を自分の領地ブルゴーニュ公国の首都ディジョンのノートルダム大聖堂の上に据えたんだ。

そして右の画像は、今でもディジョンのノートルダム教会の上にある仕掛け時計「ジャックマール」。残念ながら私がディジョンを訪れた際には仕掛けは動いていなかった。ある本によれば、1930年代には動いていたみたいだけどね。

フランスの首都パリに凱旋

フランドルの反乱は鎮圧したものの、他方ではフランスの首都パリの市民たちが反乱に同調する動きを見せていたんだ。そこでフランス国王軍はとって返してパリへと向かった。

パリのノートルダム大聖堂内部(フランス) フランス国王軍の軍事力に対して、パリの市民たちは抵抗を諦めて開城。責任者は処罰され、パリの自治を担っていた市長職は廃止されてしまった。

その上でフランス国軍を構成していたブルゴーニュ公フィリップ大胆公たちは、パリのノートルダム大聖堂で勝利に感謝をしたんだそうな。(右の画像はパリのノートルダム大聖堂の内部。)

ブルゴーニュ公フィリップ大胆公によるフランドル獲得

時代は少し遡って西暦1369年、つまりはフィリップ大胆公がブルゴーニュ公となって数年後のことなんだけど、彼はマルグリット・ド・フランドルなる女性と結婚した。その女性はフランドル伯の相続権を持っていた。

そして西暦1384年、フランドル伯ルイ・ド・マールが亡くなった。その結果、妻のマルグリットの相続権によって、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ(大胆公あるいは豪胆公)は、フランドル(今のベルギー)、アルトワ、フランシュ・コンテ(あるいはブルゴーニュ伯領)などを獲得したわけだ。

ここに、一時はフランス王家やハプスブルク家をもしのぐと言われたヴァロワ家系ブルゴーニュ公家の繁栄の礎が広がったわけだね。但し、逆にそれがブルゴーニュ公家の不幸の原因になったのかも知れないんだけど、それはまだまだ先のお話。

幻のイングランド上陸侵攻作戦

先のことはともかくとして、現時点ではフランス王家と共に歩んでいるブルゴーニュ公フィリップ大胆公。彼が取り組んだのは兄に当たる亡き王シャルル5世賢王が立案したイングランド上陸侵攻作戦だった。

百年戦争における宿命の敵イングランドへの上陸作戦が具体化したのは西暦1386年のこと。計画では明けて西暦1387年にイングランドへ上陸することになっていた。

ところが、フィリップと同様に国王シャルル6世の叔父にあたり、かつフィリップ大胆公の兄に当たるベリー公ジャンは煮え切らない姿勢を崩さない。結局はこのイングランド上陸侵攻作戦は幻に終わってしまった。




フランス王シャルル6世の発狂

西暦1380年の即位当時には若かったフランス王シャルル6世も成長し、西暦1388年には叔父たちの補佐を受けずに独力で統治すると宣言。

ところが、西暦1392年にはフランス王シャルル6世が発狂してしまった。イングランドとの百年戦争は続いているというのに、フランスはいったいどうなるんだ !?!?

ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ死去

そんな状況のまま月日が流れて西暦1404年4月、ブルゴーニュ公フィリップ大胆公は祝宴を開くためにブラッセルあるいはブリュッセル(ベルギー)にいた。ところが、そこで悪性のインフルエンザにかかってしまったらしい。(下の画像は中世の面影を残すブリュッセルの市庁舎前広場の夜景。)

ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー) ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー) ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー) ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー)

そして4月27日、ヴァロワ家系初代ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディは63歳で亡くなってしまった。下の画像は、そのフィリップ大胆公の墓碑。中世ブルゴーニュ公国の首都ディジョンにあるブルゴーニュ公宮殿の中に設けられているディジョン市立美術館で見ることが出来るんだ。

ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー) ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー) ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー) ブリュッセルの市庁舎前広場の夜景(ベルギー)

フィリップ大胆公の死去の後、ブルゴーニュ公となったのは息子のジャン・サン・プール(無畏公あるいは無怖公)。もちろん、ブルゴーニュ公家の物語はまだまだ続いていく。

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