フランス西部ロワール川ののどかな風景フランス西部を流れるロワール川、美しい城の立ち並ぶロワール川の風景が下の画像なんだけど、なんとものどかな眺めだよね。ところが、このロワール川が戦争の最前線となったことがある。それがイギリスとフランスとの間の百年戦争の頃なんだ。
百年戦争に苦しむフランス西暦1328年、カペー朝フランス王家が断絶し、ヴァロワ家のフィリップ6世がフランス王位を継承した。ところが、カペー家と濃密な血縁関係にあったイングランド王家のエドワード3世が異議を唱え、西暦1339年に百年戦争が始まったんだ。全般的に不利な状況にありながらも、ヴァロワ朝フランス王家はイングランドとの戦いを続けていた。ところが、西暦1418年から戦況はフランスに著しく厳しくなっていった。
まず西暦1415年にはブルゴーニュ公ジャン無畏公がイングランドと同盟してしまった。更に西暦1418年にはフランスの首都パリがイングランド・ブルゴーニュ連合軍に奪われてしまう。西暦1419年には、フランス王を支持するアルマニャック派によってブルゴーニュ公ジャン無畏公が暗殺されたものの、その息子ブルゴーニュ公フィリップ善良公(右の画像)は更にイングランドに接近してしまった。 そして西暦1420年にはイギリスとフランスとの間にトロワ条約が結ばれ、フランス王シャルル6世の娘カトリーヌと結婚したイングランド王ヘンリー5世がフランス王位継承権を獲得してしまった。 その後、イングランド王ヘンリー5世が亡くなるも、その弟ベドフォード公に補佐された幼王ヘンリー6世がイングランド王を継承。更にフランス王シャルル6世が亡くなり、ヘンリー6世がフランス王をも兼ねることとなったんだ。 追いつめられた王太子シャルルと
その間、前フランス王シャルル6世の王太子シャルルは、ロワール川の南に逃げ込んでいた。つまり、フランス北部ノルマンディー地方を支配するイングランド軍とロワール川の南の地域を支配する王太子シャルルの軍とは、上の画像にあるロワール川をはさんで対峙していたわけだ。 |
敵軍の手に落ち、異端の罪により
パリからの退却後、アランソン公ジャンやジャンヌ・ダルクたちの部隊は国王シャルル7世の命によって解散させられる。しかも、アランソン公ジャンはノルマンディー地方に派遣され、ジャンヌ・ダルクは理解者から引き離されてしまったんだ。 |
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関連リンク旅行記 「パリに住んだ...つもりの9日間」(パリ、ロワール、ノルマンディ、シャルトル) |
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