ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1471年、ばら戦争期のイギリスでイングランド王ヘンリー6世が幽閉されていたロンドン塔で亡くなった。


イングランド王にしてフランス王となったヘンリー6世

西暦1399年、イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉されていたイングランド王リチャード2世が廃位された。代わってイングランド王となったのが、ランカスター家のヘンリー4世だった。(リチャード2世は、その翌年に亡くなっている。)

その息子のイングランド王ヘンリー5世はフランスに対する百年戦争を有利に展開し、西暦1420年に結ばれたトロワ条約でフランス王位の継承権をも得ている。その翌年に生まれたのが、後のヘンリー6世だった。母はフランス王シャルル6世の王女だった。

イギリスの首都ロンドンにあるウェストミンスター寺院 そして西暦1422年、父のヘンリー5世が亡くなり、ヘンリー6世はイングランド王となった。その2ヵ月後には父方の祖父シャルル6世が亡くなり、フランス王ともなった。2歳の赤ちゃんがイングランドとフランスの王になったわけだ。

イングランド王の戴冠式は西暦1429年に右の画像にあるロンドンのウェストミンスター寺院で行われ、フランス王の戴冠式は西暦1431年にフランスの首都パリノートルダム大聖堂で行われたらしい。

さすがに首の座らない赤ちゃんに重い王冠を載せるわけにはいかなかったんだろうね。

百年戦争の情勢とイングランド内部での争い

しかし、イングランド王ヘンリー6世の治世は危ういものだった。フランスにおける百年戦争は、ジャンヌ・ダルクなどの活躍もあり、イギリスに不利になりつつあった。ヘンリー6世は、フランスでの戦いをお気に入りのサマーセット公に指揮させたが、戦況はむしろ悪化してしまった。

フランス南西部ボルドーにあるサン・タンドレ大聖堂の内部

そして、西暦1453年、ついにフランス南西部にあるアキテーヌの中心であるボルドーまでフランスに奪われてしまった。(上の画像は、ボルドーにあるサン・タンドレ大聖堂の様子。)

イギリスのフランスにおける領地はほとんど無くなり、この時点で実質的に百年戦争は終わったということになる。他方で、ボルドー陥落の知らせを受けたイングランド王ヘンリー6世は、精神を病んでしまったらしい。

摂政となったヨーク公リチャード、ばら戦争

病気の為に国事を処理できなくなったイングランド王ヘンリー6世に代わって、プランタジネット家のイングランド王エドワード3世の曾孫にあたる第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットが護国卿・摂政となった。

他方でヘンリー6世の気に入りのサマーセット公はロンドン塔に幽閉されている。ところが、西暦1454年に病気から回復したイングランド王ヘンリー6世は、ヨーク公を解任し、気に入りのサマーセット公を復帰させている。

そんなこんなでヨーク公リチャードを中心とするヨーク家とヘンリー6世を中心とするランカスター家との間の対立が深まり、ついに西暦1455年にばら戦争が始まったわけだ。

しばらくは双方共に勝ったり負けたりを繰り返していた。しかし、西暦1460年にはヨーク公リチャード・プランタジネットが戦死し、その首はヨーク城門ミクルゲート・バーに吊るされてしまった。

ヨーク家のイングランド王エドワード4世と
ランカスター家のヘンリー6世のロンドン塔幽閉

ところが、ばら戦争は終わらない。精神を病んでいたイングランド王ヘンリー6世は戦いの最中にも発作を起こすこともあったらしい。西暦1461年には、戦死したヨーク公リチャードの息子がイングランド王エドワード4世として即位している。

イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のほとりのロンドン塔

退位させられたヘンリー6世はスコットランドに逃れ、ランカスター家の勢力はウェールズなどでも戦っていたらしい。ところが、西暦1465年にヘンリー6世が捕えられ、上の画像にあるロンドン塔に幽閉されてしまった。

ばら戦争は続く

ところが、ヘンリー6世がロンドン塔に幽閉されても、ばら戦争は続くんだ。ヨーク家の貴族が裏切ってランカスター家に味方し、西暦1470年にはイングランド王ヘンリー6世が復位してしまった。

その半年後の西暦1471年には戦いに勝ったエドワード4世が再びイングランド王となっている。それから間もなく、ランカスター家のヘンリー6世は再び幽閉されたロンドン塔で亡くなっている。シェイクスピアの「リチャード3世」では、ヘンリー6世はリチャード3世によって暗殺されたと ・・・。

その後、西暦1483年にはイングランド王エドワード4世が亡くなった。その息子は12歳でイングランド王エドワード5世として即位している。しかし、2ヶ月後には叔父であるグロスター公がイングランド王リチャード3世として即位し、エドワード5世と弟のリチャードはロンドン塔に幽閉されたらしい。

それから200年ほど経った西暦1674年、ロンドン塔で子供の遺骨が発見された。誰の遺骨かは確認されていないけれども、その遺骨はウェストミンスター寺院に移されたんだそうな。

他方で叔父のイングランド王リチャード3世は、西暦1485年に戦死。結局のところは、ランカスター家ゆかりのヘンリー・テューダーがイングランド王エンリー7世として即位し、エドワード4世の娘でエドワード5世の姉のエリザベスと結婚し、ランカスター家とヨーク家の合同が演出されたということになっている。

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