ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1474年、フランスのブルゴーニュ公シャルル突進公がイングランド王エドワード4世とロンドン条約を結んだ。


イングランドのバラ戦争とフランス

イングランドとフランスとの間の百年戦争が終わり、ブルゴーニュ公フィリップ善良公シャルル突進公が着々と勢力を拡大していた頃、イングランドは薔薇戦争(バラ戦争)の渦中にあったんだ。

百年戦争時にはブルゴーニュ公家と連携していたランカスター家のイングランド王ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉され、対立するヨーク家のエドワード4世がイングランド王となっていた。(下の画像はイギリスの首都ロンドン観光名所ロンドン塔をテームズ川の南岸から見た風景。)

イギリスの首都ロンドンの名所ロンドン塔をテームズ川南岸から見る

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ブルゴーニュ公家は、婚姻を通じてランカスター家初代ジョン・オブ・ゴーントの血を受け継いでいたこともあり、元来はランカスター家との関係が深かった。ところが、イングランド王位をヨーク家が占めていたこともあり、ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公はヨーク家のエドワード4世の妹であるマーガレット・オブ・ヨークと結婚していたんだ。

イングランドのランカスター王家と
フランスのヴァロワ王家との連携

ところが、イングランドのキング・メーカーとも呼ばれたワーウィック伯がエドワード4世と対立してフランスへ逃げてきた。そのワーウィック伯のためにヴァロワ家のフランス王ルイ11世は資金を出してやった。

フランス王の支援を受けたワーウィック伯はイングランドに上陸。不意を受けたヨーク家のイングランド王エドワード4世はオランダへ逃れた。ワーウィック伯はロンドン塔に幽閉されていたランカスター家のヘンリー6世を解放し、彼をイングランド王としたんだ。

その結果、ワーウィック伯をはさんで、イングランドのランカスター王家とフランスのヴァロワ王家との連携が成立した。百年戦争の間はあれほど激しく長い戦いを続けていた両王家が連携 !!

ブルゴーニュ公シャルル突進公によるヨーク家支援

もちろん、オランダに逃れたヨーク家のエドワード4世もおとなしく引き下がってはいない。ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公の支援を得て、エドワード4世がイングランドに逆上陸する。

西暦1471年4月には、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家の軍に勝ち、ワーウィック伯は殺害された。エドワード4世がイングランド王位に返り咲き、ランカスター家のヘンリー6世はロンドン塔に戻る破目になってしまった。今度はブルゴーニュ公家とヨーク家のイングランドとの提携が成立したわけだ。

ブルゴーニュ公シャルル突進公と
アラゴン王家との同盟

ガウディの聖家族教会から見下ろしたバルセロナ市街(スペイン) ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公は更に外交攻勢をかけ、西暦1471年にはスペインのアラゴン王家とも条約を結んだ。

当時のアラゴン王ファン2世は、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方の支配をめぐってフランス王ルイ11世と対立していたこともあり、その背後に同盟者を求めていたんだ。(右の画像は、ガウディの聖家族教会の塔の上から見下ろしたバルセロナ市街。)

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ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公と
イングランド王エドワード4世との間のロンドン条約

そして西暦1474年7月には、ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公とヨーク家のイングランド王エドワード4世との間に、以下の内容を持つロンドン条約が成立した。

  • ブルゴーニュ公はヨーク家のエドワード4世をフランス王と認める。
  • エドワード4世は、西暦1475年7月1日までに1万を越える軍を率いてフランスに侵攻する。
  • ブルゴーニュ公シャルル突進公は、エドワード4世上陸の折には、1万を越える軍を率いて支援する。
  • ブルゴーニュ公の所領については、エドワード4世に対する臣下の礼を免れる。
これじゃまるで百年戦争時代に逆戻りだよね。フランスのヴァロワ王家にとっては、難しい事態になりそうだ。

ブルゴーニュ公シャルル突進公の条約違反

ところが、ブルゴーニュ公シャルル突進公はロンドン条約で定めた期限まで大人しくしていることが出来ない。ハプスブルク家から買い取ったアルザスや、その隣のロレーヌ地方で戦争を繰り返していたんだ。(下の画像は菜の花の咲き誇るロレーヌ地方の田園風景の眺め。)

菜の花の咲くロレーヌ地方の田園風景(フランス)

そしてロンドン条約で定められた期限の西暦1475年7月、イングランド王エドワード4世は1万3千の兵を率いてフランスに攻めてきた。ところが、ロレーヌ地方での戦いに手間取っていたブルゴーニュ公シャルル突進公は、約束した1万に満たない少数の兵を率いて駆けつけただけだった。




イングランド王エドワード4世と
フランス王ルイ11世とのピッキニイの和約

約束した兵力を提供しなかったブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公に対して、イングランド側は不信感を持たざるを得ない。しかも、その他のフランスの貴族たちは日和見を決め込んでいた。

加えて、フランス王ルイ11世はイングランド側に有利な条件をもって和平を提案してきた。その結果、西暦1475年にはイングランドとフランスとの間にピッキニイの和約が成立した。ルイ11世は事態の大局を把握する目を持ち、しかも決断力を持っていたみたい。

両王家の間に和約が成立したことを聞いたブルゴーニュ公シャルル突進公は、イングランド王エドワード4世に抗議した。しかし、イングランド側はブルゴーニュ公シャルル突進公のロンドン条約違反を以て反論。結局、ブルゴーニュ公シャルル突進公は、重要な盟友と大きなチャンスを逃してしまったんだ。



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