ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1473年、マルタン・ションゴエールがアルザス地方(現フランス領)の街コルマールで「薔薇垣の聖母子」(「イバラの聖母」)を描いた。


発展するアルザス地方

西暦1230年頃、スイスのザンクト・ゴットハルト峠が開通し、オリエント・地中海・イタリアの産物がスイスを経由してアルプスの北へと運ばれるようになった。他方で14世紀から15世紀にかけては、アルザス地方(当時は神聖ローマ帝国領)に隣接するフランスは百年戦争で混乱していた。

というわけで、ヨーロッパの南北を結ぶ商業ルートの核として発展したのが、ライン川の水運を利用することのできるアルザス地方(現在はフランス領)だった。加えて14世紀には、古代ローマ帝国以来の歴史を持つアルザス地方のワイン生産は最盛期を迎えようとしていた。(下の画像はアルザス地方の街リクヴィールのブドウ畑。)

フランス東部アルザス地方の街リクヴィールのブドウ畑

そんなわけで、アルザス地方の中心ともいうべきストラスブールや、アルザス・ワイン取引の中心地コルマールの街が発展していったのが、14世紀から15世紀だったわけだ。

マルタン・ションゴエールが描いた「薔薇垣の聖母子」

経済が成長し、街が発展すれば、芸術も隆盛を迎えることになる。アルザス地方だってその例外じゃなかった。隆盛を迎えたアルザス芸術を代表するのが、西暦1473年頃にマルタン・ションゴエール(あるいはマルティン・ショーンガウアー)によって描かれた「薔薇垣の聖母子」あるいは「イバラの聖母」だった。

フランス東部アルザス地方の街コルマールのドミニカン教会

上の画像は、アルザス地方の街コルマールにあるドミニカン教会(13世紀に建てられた教会なんだけど、今は図書館)なんだけど、マルタン・ションゴエールの「薔薇垣の聖母子」はこの中で見ることができるんだ。

マティアス・グリューネヴァルトによる「イーゼンハイムの祭壇画」

もうひとつアルザス芸術の代表作とされる絵画がある。それがマティアス・グリューネヴァルト(本当の名前はマティス・ゴートハルト・ナイトハルトというらしいけど)による「イーゼンハイムの祭壇画」かな。

フランス東部アルザス地方の街コルマールのウンターリンデン美術館

この「イーゼンハイムの祭壇画」はコルマールにあるウンターリンデン美術館(上の画像)で見ることができるんだ。ちなみに、この美術館も元々は13世紀の修道院だったらしい。コルマールの古い街並みを歩けば、こんな歴史ある建物を色々と見ることができるよ。

衰退していったアルザス芸術

隆盛を迎えたアルザス芸術に転機が訪れたのは、西暦1517年のことだった。その年、ルターが95か条の論題を掲げ、宗教改革が始まった。アルザス地方ではルター派の勢力が強くなり、カトリックが大事にしていた聖像や聖画は破壊され、あるいは蔑視されることとなったんだ。

上に書いた「イーゼンハイムの祭壇画」(当時はコルマールから20kmほどのところにあるイーゼンハイムの礼拝堂に掲げられていた)も祭壇からはずされ、倉庫の奥にしまいこまれ、人々から忘れられてしまった。

それに追い討ちをかけたのは、西暦1525年に激しくなったドイツ農民戦争だった。当時は神聖ローマ帝国に属していたアルザス地方にもドイツ農民戦争が波及し、混乱が及んだというわけだ。

ドイツ農民戦争が終息した後も宗教戦争は続き、17世紀には三十年戦争の混乱もアルザス地方に及び、スウェーデン軍そしてフランス軍によって占領されることになったんだ。そしてパリ近郊のヴェルサイユ宮殿の造営で名高いフランス王ルイ14世太陽王によって占領・併合されている。

そんな中、かつては多くの芸術家を集めたストラスブールやコルマールの魅力は薄れ、芸術家たちはアルザス地方を離れていき、アルザスの芸術は衰退していったわけだ。

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