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西暦1544年、オスマン・トルコの提督となっていた海賊バルバロッサが、イタリアのアマルフィを襲った。
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オスマン・トルコ艦隊がマルセイユに入港
西暦1543年、スレイマン大帝支配下のオスマン・トルコの艦隊が、フランス南部にあるマルセイユの港に入港した。ハプスブルク家のカール5世に対抗するために、フランス王フランソワ1世はスレイマン大帝と同盟していたんだ。
ちなみに、オスマン・トルコ艦隊を指揮していたのは、イスラムの海賊として名高い海賊ハイレッディン・バルバロッサだった。彼はオスマン・トルコの提督となっていた。
コート・ダジュールの街ニースを攻撃
その年、フランス軍とオスマン・トルコ艦隊は、協力してニースを攻撃している。当時のニースはフランス王と対立していたサヴォイ公の領地だった。(下の画像は、現在はフランス領となっているニースの海辺の風景。)
しかし、このニース攻撃は失敗に終わり、フランスとオスマン・トルコの連合軍は撤退。その後、海賊ハイレッディン・バルバロッサ指揮下のオスマン・トルコ艦隊は、フランス南部の街トゥーロンの港で冬を越している。
海賊ハイレッディン・バルバロッサが イタリア南部の街アマルフィを襲撃
明けて西暦1544年、多くの略奪品と奴隷にした人々を積んだ海賊ハイレッディン・バルバロッサのオスマン・トルコ艦隊は、フランスを離れてトルコに帰還していった。
もちろん、海賊バルバロッサが何もせずにイタリア沖合いを通過するはずもない。イタリアの海岸地帯を略奪しながら南下して行ったわけだ。
その海賊ハイレッディン・バルバロッサの艦隊に襲われたイタリアの街の一つが、ナポリの南にあるアマルフィだった。西暦1544年6月27日、アマルフィの街はイスラムの海賊の襲撃を受けたんだ。(下の画像は、アマルフィの街でみかけた垂れ幕。海賊バルバロッサの襲撃を描いている。)
しかし、アマルフィの街は海賊バルバロッサの襲撃を撃退し、略奪を免れることが出来た。地元では、アマルフィの守護聖人である聖アンドレア(セント・アンドリュー)のおかげだと考えられている。上の画像の中でも、聖アンドレアが描かれているよね。
ちなみに、アマルフィの大聖堂は、聖アンドレアに捧げられた教会なんだ。上の画像にある街の垂れ幕の絵も、大聖堂にあるフレスコ画の複製なんだよ。
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