白鳥のいる湖の哀しい物語スコットランドの古都パースから南へ11マイル(18km)のところに、白鳥が静かに翼を休める湖 ロッホ・レーベン(下の画像)がある。いかにも平和な湖だよね。だけど、ここには悲しい物語があるんだ。
スコットランド女王にしてフランス王妃1542年12月7日、スコットランド王ジェームズ5世の妃マリー(フランスの貴族ギーズ家出身)が女の子を出産した。この赤ん坊がメアリー・スチュワート。数日後の12月13日、スコットランド王ジェームズ5世死去。唯一の相続人であるメアリー・スチュワート(生後7日目)がスコットランド女王となった。 やがて幼い女王メアリーは、貴族たちの争いが続くスコットランドを離れ、母の祖国フランスへ送られた。女王の留守を守るのは、摂政となった母親のマリーだった。 1558年、16歳のスコットランド女王メアリーは、フランス皇太子フランソワ(カトリーヌ・ド・メディチの息子)と結婚。翌年にはメアリーの夫がフランス王フランソワ2世として即位した。 しかし、フランソワ2世は即位の17ヵ月後に死去。女王メアリーは、19歳にして未亡人となった。 女王メアリー・スチュワートの幽閉と退位1561年、スコットランド女王メアリー・スチュワートがスコットランドに帰国。しかし、直ちに新教徒と旧教徒との争いに巻き込まれてしまった。1565年、22歳の女王メアリーはダーンリー卿ヘンリー・スチュワートと再婚。しかし、この結婚に不満を抱く貴族たちが反乱を起こした。 1566年、メアリーの秘書でイタリア人のリッツィオが殺害された。このイタリア人は女王メアリーの愛人だったとの説もある。真偽のほどはわからないけど。 同じ年、女王メアリーが男児を出産。この赤ん坊ジェームズ・スチュワートが、後にスコットランド王ジェームズ6世、イングランド王ジェームズ1世となる。 1567年、女王メアリーの夫ダーンリー卿が殺害された。メアリーは、妻と別れたボスウェル卿と再婚した。 しかし、女王メアリーのボスウェル卿との再婚は貴族たちの反乱を引き起こし、敗れたメアリーはロッホ・レーベンの湖に浮かぶ島の小さな城(下の画像)に幽閉されてしまった。
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メアリー・スチュワートの処刑その年の6月24日、メアリー・スチュワートは貴族たちによって退位を強制され、1歳の息子がジェームズ6世としてスコットランドの王位についた。1568年、ロッホ・レーベンの島を脱出したメアリーは、旧教徒貴族を集めて戦いを始めるが、新教徒勢力に敗北。メアリーは従姉妹の関係にあるイングランド女王エリザベス1世を頼って亡命していった。 1587年、イングランド女王エリザベス1世の命により、メアリー・スチュワートが処刑された。旧教徒と結んでエリザベス1世の暗殺を計画し、イングランドの王位を狙ったというのが、処刑の理由だった。 1612年、メアリーの息子であり、イングランドとスコットランドの王となっていたジェームズ1世(6世)によって、メアリー・スチュワートの遺体がロンドンのウェストミンスター寺院に移された。
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