ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1691年、オーストリアのハプスブルク家に仕えるオイゲン公が元帥に昇進した。


ハプスブルク家の皇帝三代を支えたオイゲン公

第一次世界大戦に敗北するまで、中欧から東欧にかけての大帝国を維持したオーストリアのハプスブルク家。その帝国を築いた英雄の一人が、かつてハプスブルク家と対立していたフランス王家にゆかりのある人物といえば、ちょっと意外だよね。

このページで取り上げるその英雄というのはオイゲン公(プリンツ・オイゲンあるいはサヴォイ公オイゲン・フランツ)なる人物。ブルボン王家とサヴォイ公家の血をひく人物を父に持ち、フランス絶対王政を支えたマザラン枢機卿の姪を母として生まれたフランスの貴公子なんだ。

ところが、このオイゲン公はフランス王国の宿敵だったハプスブルク家に仕え、ウィーンまでも攻囲したオスマン・トルコを撃ち破り、フランス王国とも戦って、神聖ローマ帝国に繁栄をもたらしたんだ。

そしてハプスブルク家の都ウィーンのホーフブルク王宮の前に、オイゲン公の像が立てられたわけだ。(下の画像は今に残るホーフブルク王宮前のオイゲン公の像。)

オーストリアの首都ウィーンにあるホーフブルク王宮前に立つオイゲン公の像

ちなみに、このオイゲン公なんだけど、身体は小さいし、足が若干不自由だった。しかも、見た目には貧相。だから、彼が軍人になるとは誰も思わず、てっきり僧侶になるものだと思われていたらしい。そんな彼が、やがて神聖ローマ帝国の大将軍となるまでを取り上げてみるかな。

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フランスにおけるオイゲン公の失望

西暦1663年、ブルボン王家とサヴォイ公家(その子孫はやがてイタリアの王位を得る)の血をひくオイゲン公が誕生。幼くして父は戦死、母はスキャンダルにより国外追放となり、父方の祖父母に育てられた。

子供の頃から僧侶となることを期待されていたオイゲン公だったけど、彼の望みは軍人になることだった。でも、フランス王ルイ14世は、小柄なオイゲン公が軍人になるなどとんでもないと、全く取り合ってはくれなかったんだ。

ハプスブルク家に拾われたオイゲン公

そして西暦1683年、オスマン・トルコの大軍がハプスブルク家の都ウィーンを攻囲した。軍人になることを諦めきれないオイゲン公はフランスを出奔し、神聖ローマ皇帝レオポルト1世に拝謁し、ハプスブルク家の為に戦うことを許された。

以後のオイゲン公は、ハプスブルク家の東の宿敵であるオスマン・トルコ(西の宿敵はブルボン家のフランス)との戦いで功績を挙げ続け、驚くべき勢いで昇進したんだ。

西暦1686年にはブダ(現在のハンガリーの首都ブダペストの一部)をオスマン・トルコ軍から奪還し、その翌年にはモハチにおいてオスマン・トルコ軍を撃ち破った戦いにも参加。

西暦1688年にフランスのルイ14世が神聖ローマ帝国領に侵攻すると、オイゲン公はライン川に転戦してフランス軍と戦った。更には、交渉により親戚のサヴォイ公を神聖ローマ皇帝側に引き込むことにも成功したんだ。

下の画像の奥に写っているのは、ニース(現フランス領)に残るサヴォイ公家の宮殿。ちなみに、その手前に写っているのは、ニースの食べ物市

ニースに残るサヴォイ公家の宮殿(フランス)

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元帥となったオイゲン公

そして西暦1691年、若干28歳のオイゲン公が、元帥に昇進したんだ。でも、彼の活躍はまだまだ続く。西暦1692年にはフランス南部に侵入。西暦1697年にはハンガリーにおけるハプスブルク家の総司令官となり、オスマン・トルコ軍を撃ち破った。

その二年後の1699年にはカルロヴィッツ条約が成立し、ハンガリーはハプスブルク家の領土として確定したんだ。

西暦1701年、スペイン継承戦争が始まった。オイゲン公はドイツ・イタリア・オランダでフランス軍を撃ち破ったんだ。

その後、西暦1714年にはオーストリアとフランスとの講和のための会議が行われ、オイゲン公はハプスブルク家から全権を委ねられて講和会議に参加した。

西暦1716年と1717年には、またもやオスマン・トルコ軍を撃ち破った。そして西暦1735年、ポーランド継承戦争ではライン川地方を転戦。

そして西暦1736年、ハプスブルク帝国の発展を支えたオイゲン公が亡くなった。その遺骸はオーストリアの首都ウィーンにある聖シュテファン大聖堂で眠っている。



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