ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1682年、フランス王ルイ14世の宮廷が、パリ近郊のヴェルサイユ宮殿に移された。


フランス王ルイ14世(太陽王)とヴェルサイユ宮殿

西暦1661年3月9日、幼くしてフランス王となったルイ14世の宰相として政治を取り仕切っていたマザランが亡くなった。この時から絶対君主ルイ14世の親政が始まったわけだ。

この年、太陽王ルイ14世は財務卿フーケのヴォー・ル・ヴィコント城に招かれた。財務卿の城は、フランス王に強烈な印象を残したと言われる。その財務卿フーケが公金横領の罪で9月5日に逮捕されているが、それが彼の城の豪華さと関係しているのかどうかは明らかではない。

その同じ西暦1661年、フランス王ルイ14世は、先王ルイ13世の狩のための館の改造に取りかかった。まずは館の若干の増築、そして庭園の大改造だ。

庭園改造の責任者となったのは、財務卿フーケの城の庭園を担当した造園家ル・ノートルだった。(下の画像は現在のベルサイユの庭園の様子。)

ヴェルサイユ宮殿の庭園(フランス)

西暦1668年からは、館の拡張工事が始まった。その責任者は、やはり財務卿フーケの城の建築に携わった建築家ルイ・ル・ヴォーだった。

その後、ルイ14世は彼自身の宮廷と政府の役所を、この新しい宮殿に移すこととし、その為の大拡張工事が始まった。建築の責任者は、ルイ・ル・ヴォー、フランソワ・ドルベ、ジュール・アルドアン・マンサールと移り変わっていた。

西暦1678年から始まった大規模な拡張工事においては、バロック様式に改装され、新しく二つの翼が追加された。(下の画像は、現在のヴェルサイユ宮殿の外観。)

ヴェルサイユ宮殿の外観(フランス)

そして西暦1682年5月6日、フランス王ルイ14世の宮廷と政府の役所が、ヴェルサイユ宮殿に移転してきた。

但し、このヴェルサイユ宮殿の建設工事はまだまだ続く。宮廷移転の翌年に当たる西暦1683年には二万人以上、西暦1684年には三万人以上の人々が建設工事に従事していたらしい。このヴェルサイユ宮殿が一応の完成を見たのは、着工後25年が経った西暦1686年のことだった。




歴史の舞台 ヴェルサイユ宮殿

太陽王とも称されたフランスの絶対君主ルイ14世が長い歳月と膨大な費用をかけて造営したヴェルサイユ宮殿は、その後も歴史の大舞台であり続けたんだ。

例えばフランス革命真っ最中の西暦1789年10月5日、民衆がヴェルサイユ宮殿を襲い、フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットパリに連れ去っている。

また、普仏戦争において勝利を得たプロシアのヴィルヘルム1世は、このヴェルサイユ宮殿の中にある鏡の間(下の画像)において、ドイツ皇帝として即位している。つまり、ヴェルサイユ宮殿がドイツ帝国成立の舞台となったわけだ。

ヴェルサイユ宮殿内部の鏡の間(フランス)

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