ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦64年、古代ローマ帝国皇帝ネロによるキリスト教徒の迫害が始まった。


古代ローマ帝国皇帝ネロのキリスト教徒迫害と聖ペテロ

古今東西の暴君の筆頭として名前が挙げられるのは、古代ローマ帝国の皇帝カリグラあるいはネロだろうね。初代皇帝アウグストゥスの曾孫を母とし、シェイクスピアの「アンソニーとクレオパトラ」で名高いマルクス・アントニウスの孫にもあたるネロは、西暦54年に16歳で皇帝となっている。

即位後しばらくは家庭教師でもあった哲学者セネカなどの補佐を得て、善政を施していたらしい。でも、やがて母、妻、セネカなどを死に追いやっている。そして西暦64年にローマの大火が起きると、その犯人としてキリスト教徒の迫害を始めたんだ。その迫害がネロの悪名を高めたんだね。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で見た聖ペテロ像

そして西暦67年、キリストの最初の弟子と言われ、初代ローマ教皇ともされる聖ペテロが皇帝ネロの迫害によって殉教した。逆さ磔にされたとも言われている。上の画像はヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にある聖ペテロの像なんだ。

聖ペテロの墓の上に建てられたとされるサン・ピエトロ大聖堂は、聖ペテロ(サン・ピエトロ)の王冠とも言われている。サン・ピエトロ大聖堂の中の聖ペテロの墓の上の位置には、イタリア・バロックの彫刻家ベルニーニによるブロンズのバルダッキーノ(天蓋)があり、その上にはピエタで名高いミケランジェロのクーポラ(円屋根)もあるんだ。

その聖ペテロの遺骨は20世紀半ばに行われた地下墓地の発掘の際に発見されたとされている。そして西暦2013年11月、その遺骨の入った聖遺物箱をヴァティカンのサン・ピエトロ広場に安置してミサが挙行され、その聖遺物箱が初めて公開されたんだそうな。但し、その遺骨が聖ペテロのものと認めない学者もいるらしいけどね。

もう一つ余談なんだけど、聖ペテロの弟の聖アンデレは黒海方面で布教していて殉教したとされている。その遺骨は第4回十字軍によって成立したラテン帝国の頃にコンスタンティノープルからイタリアに持ち込まれ、アマルフィ大聖堂クリプトに葬られているらしい。

加えて、ラヴェンナの初代司教とされる聖アポリナリスも皇帝ネロの迫害の際に拷問を受けて殉教したとの説もある。彼に献じられたサンタポリナーレ・ヌオヴォ教会サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会では、6世紀頃という歴史あるモザイク画を見ることができるんだ。但し、聖アポリナリスが殉教したのはネロの時代ではなく、後の皇帝セプティミウス・セウェルスの頃だったという説もあるけどね。

ローマのコロッセオ(円形闘技場)と皇帝ネロ

他方で、キリスト教徒迫害のきっかけになったローマの大火によって、街は灰燼に帰したらしい。でも、皇帝ネロは焼け跡に巨大な宮殿を建てたんだ。その宮殿には広大な庭園があり、その庭園には人工の池も造られた。後にその池を利用して建てられたのが、今のローマのフォロ・ロマーノの一画にあるコロッセオ(円形闘技場)なんだそうな。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにあるコロッセオ(円形闘技場)

上の画像がそのコロッセオ(円形闘技場)なんだけど、かつてはこの中に水を貯え、模擬海戦をすることもできたそうな。皇帝ネロの頃の宮殿や庭園はいったいどれほどの規模だったのかね。

大火の焼け跡に巨大な宮殿を建てた皇帝ネロなんだけど、彼はエミリア街道の要衝ボローニャにも足跡を残している。ボローニャは皇帝クラウディウスの頃に大火によって大きな被害を蒙ったんだそうな。その街の復興に努めたのが皇帝ネロだった。そのおかげでイタリアの交通の要衝ボローニャが復興し、やがて11世紀にはヨーロッパ最古の大学が設立された ・・・ と言えなくもないのかも。

迫害を逃れて隠れ住んだキリスト教徒

皇帝ネロによる迫害を逃れ、各地に隠れ住んだキリスト教徒も少なくはなかった。そんな人々が隠れ住んだ場所の一つが、今はトルコ領となっている小アジア(アナトリア)の山中のカッパドキアだった。下の画像はカッパドキアのゼルヴェの雪景色なんだけど、奇岩の中に穿った穴を教会や住居として昔のキリスト教徒たちが隠れ住んだとか。

トルコのカッパドキアのセルヴェの雪景色

ちなみに、このトルコのカッパドキア一帯には、後々にも人々が隠れ住んだことがあるらしい。例えば、西暦730年にビザンティン帝国の皇帝レオン3世が聖画禁止令を発布したんだけど、人々は聖像や聖画を守ってここに隠れたんだそうな。

そして12世紀から13世紀のことなんだけど、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還しようとする十字軍は、ローマ・カトリック以外のキリスト教徒に迫害を加えたそうな。その結果、ギリシャ正教などのキリスト教徒がこのカッパドキアに隠れ住んだらしい。

キリスト教徒の迫害と皇帝コンスタンティヌスによるミラノ勅令

西暦68年、ガリアのルグドゥヌム(今のフランス東部の街リヨン)で反乱が起こった。一旦は鎮圧されたもののやがてローマの元老院までも皇帝に敵対し、結局はネロは自殺するに至っている。

でも、キリスト教徒に対する迫害は続いたんだ。ネロ以後の古代ローマ帝国の皇帝の中では、デキウスやディオクレティアヌスなどがキリスト教徒の迫害で名を残しているらしいよ。フランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ大聖堂に名前を残す聖ドニ(サン・ドニ)が殉教したのもその頃だね。

そして西暦312年、マクセンティウスに対するミルヴィオ橋の戦いで勝利を得たコンスタンティヌスが古代ローマ帝国の皇帝としての地位を確立した。その戦いの前には空に十字架が浮かんだとされているんだけど、勝利を感謝する皇帝コンスタンティヌスは翌年にはミラノ勅令を発してキリスト教の信仰を容認したとされている。皇帝ネロから始まる古代ローマ帝国でのキリスト教徒の迫害はここに終わるわけだ。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館の中のコンスタンティヌスの間にあるフレスコ画

上の画像は、ミルヴィオ橋の戦いの前に皇帝コンスタンティヌスの陣営の空に浮かんだ十字架を描いたフレスコ画なんだ。ヴァティカン美術館・博物館の中のコンスタンティヌスの間で見ることが出来るよ。

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