ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦463年、ブルグント王国(フランス南東部、今のブルゴーニュ)にてゴンドバルド(ゴンドボー)王が即位した。


ブルグント王国の王ゴンドバルド(ゴンドボー)

西暦463年、ブルグント王国の王ゴンディオックが亡くなった。その後継者としてブルグント王国の王となったのが、息子のゴンドバルド(あるいはゴンドボー)だった。

フランス第2の都市リヨンのフルヴィエールの丘にある古代ローマ帝国時代の劇場跡

ゴンドバルド王は古代ローマ帝国ゆかりのリヨンのフルヴィエールの丘に宮廷を営んだらしい。(上の画像はフランス第2の都市リヨンのフルヴィエールの丘に残る古代ローマ帝国時代の劇場跡。)

古代ローマ帝国はギリシャ人が住んだマルセイユ近くのエクサン・プロヴァンス(エクス)の街を紀元前122年に築いた後、紀元前43年にはローヌ川の岸辺にリヨン(当時はルグドゥヌム)の街を築き、属州ガリア・ルグドゥネンシスを経営していたんだそうな。

他方のゲルマン系ブルグント人は、北欧のバルト海の島に住んでいたらしい。(その前にはノルウェーに住んでいたという説もある。)

食糧不足あるいは人口問題が原因だったのか、ブルグント人は2世紀頃にはポーランドあたりに移り住んだ。でも、他のゲルマン系の人々に圧迫され、やがてドイツ南部に移動した。更に5世紀初頭にはライン川を越えてガリア(フランス)東部に入ったんだそうな。

ところが、ブルグント人は現在のハンガリーあたりに来ていたフン族と戦って敗れてしまった。そこで、崩壊寸前の古代ローマ帝国の許しを得て、現在のフランスの南東部(つまり、ブルゴーニュ地方)へ移動したわけだ。

そして西暦451年、古代ローマ帝国軍と西ゴート族やフランク族などが結束し、カタラウヌムの戦いでフン族を打ち破ることが出来た。その戦いで活躍したブルグント王国の王ゴンディオック(ゴンドバルド王の父)は、ブルグント王国を拡大していった。新王ゴンドバルドが引き継いだのは、そんなブルグント王国だった。

ローマに留学していたゴンドバルド(ゴンドボー)王

先王ゴンディオックが亡くなった時、ゴンドバルド(ゴンドボー)はイタリアのローマに留学していたらしい。古代ローマ帝国の中心でその文化を学んだというわけだろうね。(下の画像は、ローマのフォロ・ロマーノに残るカエサルのフォロと円柱。)

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにあるカエサルのフォロと円柱

そんなブルグント王国の新王ゴンドバルド(ゴンドボー)は、古代ローマ帝国の属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心だったルグドゥヌム(リヨン)の街に宮廷を置き、ガロ・ローマ文化にゲルマンの要素を取り込んだ独特の文化を育んだんだそうな。

ブルゴーニュ・ワインのブドウ畑の荒廃と再建

ライン川からガリア(フランス)に入り、ローヌ川を南下してリヨン(ルグドゥヌム)に拠点を築いたブルグント王国の領域は、今のブルゴーニュ地方をも含んでいた。言うまでもなく、フランスを代表するブルゴーニュ・ワインの生産地だよね。

例えばブルゴーニュのグラン・クリュのワインを生み出すブドウ畑に囲まれるジュヴレ・シャンベルタンの村では、古代ローマ帝国の支配下に入った紀元前1世紀の頃からワイン用のブドウが生産されていたらしい。(下の画像は別格グラン・クリュのワインを生み出すシャンベルタン・クロ・ド・ベーズのブドウ畑で収獲されたブドウ。)

フランスのブルゴーニュ地方のワイン村ジュヴレ・シャンベルタンのブドウ畑で収獲されたブドウ

但し、ブルゴーニュ地方のワイン生産もゲルマン諸族の侵入が相次いだ3世紀から4世紀にかけては衰退したんだそうな。でも、5世紀にはワイン用のブドウ畑が再建されたらしい。おそらくはゴンドバルド(ゴンドボー)の父によるブルグント王国統治の結果として、地域が安定したのかもしれないね。

念の為に書いておくけど、ブルゴーニュという地名は、ブルグントから変化して生まれている。英語ではバーガンディになったんだけどね。

フランク王国に敗れたゴンドバルド王のブルグント王国

ところで、先王が亡くなった後のゴンドバルド(ゴンドボー)王の即位が円満に行われたわけじゃなかった。ゴンドバルド王の二人の弟たちもブルグント王になろうとしたんだ。ところが、弟たちは敗れて殺されたわけだ。

殺された弟の一人には娘がいた。ゴンドバルド王はその娘クロティルドを養女として育てた。やがてクロティルドはフランク王国の王クローヴィスに嫁ぎ、クローヴィスをカトリックに改宗させたらしい。

やがてフランク王国とブルグント王国はディジョン近くで戦った。ブルグント王ゴンドバルドに父を殺されたクロティルドがクローヴィスをけしかけたという話もある。いずれにせよ、ブルグント王国軍は敗れてしまった。

フランス南部アヴィニョンを教皇庁宮殿から眺めた

でも、ゴンドバルド(ゴンドボー)王は本拠地をフランス南部プロヴァンス地方アヴィニョンに移し、ブルグント王国を再建したらしい。(上の画像は、教皇庁宮殿から眺めたアヴィニョンの風景。もちろん当時は教皇庁宮殿は無かったけどね。)

ところが、フランク王国とブルグント王国との争いはこれでは終わらなかった。それがクローヴィスの王妃クロティルドの父を殺された恨みによるものかどうかは別として。

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