ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦476年、ゲルマン族の傭兵隊長オドアケルによって、西ローマ帝国が滅ぼされた。


ロムルス 古代ローマの建国者と
最後の西ローマ帝国皇帝

昔、イタリアのアルバ・ロンガにレア・シルヴィアという王女がいた。父王が王座を追われた後、彼女は神に仕える巫女にされてしまった。その巫女と軍神マルスとの間に二人の男の子が生まれた。しかし、巫女レア・シルヴィアの父王を追放して王位を簒奪したアムリウス王は、先王の血をひく二人の男の子を川に流してしまったんだ。

二人の赤ん坊を乗せた小舟は、沈むこともなく下流の岸辺に流れ着いた。そして、二人の男の子はオオカミに育てられた。やがて成人した二人は、古代ローマを建国した。二人の名をロムルスとレムスという。(下の像は、オオカミに育てられた古代ローマの建国者の像。)

オオカミに育てられた古代ローマの建国者ロムルスとレムス(イタリア)

伝えられるところでは、オオカミに育てられたロムルスとレムスが古代ローマを築いたのは、紀元前753年のことだった。

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それから1200年余りが過ぎた西暦476年のこと。ゲルマン族出身の傭兵隊長オドアケルによって、西ローマ帝国の皇帝が退位させられ、西ローマ帝国が滅亡した。その最後の皇帝の名はロムルス。奇しくも古代ローマの建国者と同じ名前だったんだ。




西ローマ帝国終焉の地 ラヴェンナ(イタリア)

イタリア北部略図 余談ながら、西ローマ帝国が滅亡した西暦476年時点で、ローマの街は首都ではなくなっていた。

当時の西ローマ帝国の都は、ヴェネツィアの南にあるアドリア海の街ラヴェンナ(右の略図を参照)だったんだ。ラヴェンナが西ローマ帝国の都となったのは、西暦402年のことだった。

西ローマ帝国を滅ぼした後、西ローマ皇帝の冠を東ローマ帝国に返還し、自らイタリア王と称したオドアケルも、都をラヴェンナに置いた。

また、そのオドアケルを倒してイタリアの支配者となった東ゴート王国の王テオドリックもラヴェンナを都とした。東ゴート王国を倒したビザンティン帝国も、ラヴェンナに総督府を置いていた。

そんなわけで、現在のラヴェンナの街には、5世紀頃に建立された幾つもの教会が残っている。しかも、それらの教会には、当時のモザイク画がたくさん残されているんだ。(下の画像は東ゴート王テオドリックによって建立されたアリアーニ洗礼堂に残るモザイク画「キリストの洗礼」。)


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サン・ジミニャーノ、フィレンツェ)




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