ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦699年、イギリスの街チェスターの守護聖人 聖ワーバラが亡くなった。


チェスターの通りは古代ローマ帝国時代の街道だった

イギリスのイングランドとウェールズとの国境近くにチェスターという街がある。そのチェスターは、ロンドンヨークと同様に古代ローマ帝国によって築かれた街なんだ。

そして下の画像は、チェスターの東門(イーストゲート)から続くイーストゲート・ストリートなんだけど、古代ローマ時代にはプリンシパリス街道と呼ばれていたんだそうな。

チェスターのイーストゲート・ストリートは古代ローマ時代のプリンシパリス街道(イギリス)

つまり、2000年もの歴史を持つ道なんだけど、その長い年月の間には、様々な人々が通ったんだろうね。イタリアのローマから来てウェールズやスコットランドに戦いに行く兵士たちも通っただろう。カーナフォンに城を築いたイングランド王エドワード1世も通っただろう。

このチェスターの街を支配したアングロ・サクソン系のマーシア王国の王女だった聖ワーバラも通ったに違いない。その聖ワーバラは、やがてチェスターの守護聖人になるんだ。

マーシア王国の王女 聖ワーバラ

聖ワーバラ(もちろん聖人になるのは後のことだけど)が生まれた年はわかっていない。でも、おそらくは7世紀の前半だろうと推測されている。父親はアングロ・サクソン系のマーシア王国の王ウルフヘレだった。

母親はケント王国の王女エルメニルダだった。イングランド南部にあるケント王国は、その中心都市カンタベリー聖アウグスティヌスを受け入れてローマ・カトリックの布教を許しており、早くからケント王家もキリスト教に改宗していた。聖ワーバラの母も元ノーサンブリア王妃で女子修道院長となった大叔母の教えを受けて修道女となった。

マーシア王国においては、ウルフヘレ王の父ペンダ(聖ワーバラの祖父)はキリスト教への改宗を拒否しており、ウェールズ北部グウィネズ王国と同盟してキリスト教を受け入れたノーサンブリア王国の王エドウィンを戦死させ、ヨークを略奪したこともあった。しかし、ペンダ王の息子のウルフヘレ王はキリスト教に改宗していたらしい。

そんな環境で生まれた聖ワーバラは、自分の祖母や母親の跡を継ぎ、イングランドの修道院の改革に貢献したらしい。そんな彼女は後にイングランドの聖人とされている。

チェスター大聖堂にある聖ワーバラの霊廟

そんな聖ワーバラの霊廟がチェスター大聖堂の内陣の最奥にある聖母の礼拝堂にある。それが下の画像なんだ。

チェスター大聖堂にある聖ワーバラの霊廟(イギリス)

今でこそ大聖堂の最奥に安置されている聖ワーバラの霊廟なんだけど、実はここに至るまでには色々と流転があったらしい。聖人の聖遺物も歴史の波にもまれてきたということだね。

聖ワーバラの聖遺物と霊廟の流転

聖ワーバラが亡くなったのは西暦699年のことだった。彼女の遺骸はスタフォードシャーのハンブリーに葬られたらしい。その後、彼女の弟がマーシア王となり、王は聖ワーバラの遺骸をハンブリーの教会の中のもっと立派な霊廟に葬り直した。西暦708年のこと。その際に聖ワーバラの遺骸は傷むことなく生きているようだったという話も伝えられている。

ところが、9世紀になるとヴァイキングの脅威が深刻なものとなった。そこで西暦875年には、聖ワーバラの遺骸はチェスターのシティ・ウォール(市壁)の中にある教会に移されたんだそうな。その結果、チェスターには巡礼がやって来るようになった。そして西暦975年にその教会に修道院が建てられた際には聖ワーバラの名が付けられた。

その後、11世紀にはウェールズ北部のグウィネズ王国の軍がチェスターを包囲したことがあった。しかし、その軍は何故だかチェスターの包囲を解いて撤退したらしい。それが聖ワーバラの奇跡であるとされ、よって聖ワーバラはチェスターの守護聖人となったんだそうな。

その後、イングランド征服王ウィリアム1世の臣下でチェスター伯となったアヴランチェスのヒューは、西暦1093年に聖ワーバラに捧げた修道院を建てている。その建物の遺構の一部は今もチェスター大聖堂の中で見ることができるんだ。但し、そのチェスター伯ヒューは決して敬虔な人物ではなく、失敗に終わったウェールズ北部グウィネズ王国への侵攻の際の残虐な行為によって「狼のようなヒュー」とも呼ばれているそうな。

そんなこんなで聖人でもありチェスターの守護聖人でもある聖ワーバラの聖遺物や遺骸は、チェスターの修道院の中に安置されていた。ところが、西暦1539年にはイングランド王ヘンリー8世によって修道院が解散されてしまった。その修道院はあらためて西暦1541年にチェスター大聖堂とされた。でも、聖ワーバラの霊廟は撤去されて解体されたんだそうな。

そして西暦1873年、チェスター大聖堂の修復の際に、バラバラになった聖ワーバラの霊廟や聖遺物が発見された。西暦1888年には聖ワーバラの霊廟が再び組み立てられ、チェスター大聖堂の内陣の奥に安置された。それが上の画像にある聖ワーバラの霊廟なんだ。

チェスター大聖堂に響く聖歌隊の歌声

聖ワーバラの霊廟のある聖母の礼拝堂のすぐ手前には、聖歌隊席がある。私がチェスター大聖堂を歩いた際には、そこで聖歌隊がミサの為の練習をしていたんだ。それが下の画像。

チェスター大聖堂の聖歌隊席(イギリス)

練習とはいえ、歴史あるチェスター大聖堂に響く聖歌隊の歌声には何かを感じずにいられないよね。キリスト教の聖人たちの奇跡をどう考えればよいのか私にはわからないけど、キリスト教の幼稚園に通った私は実は禅宗の仏教徒なんだけどね。

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