ネス湖のほとりの古城 アークハート城
スコットランドの奥地にあるネス湖のほとりにたつアークハート城は、ハイランドでも有数の観光地のひとつ。多くの観光客のためのサービスなのか、私がアークハート城を訪れた時(1994年夏)には、タータン・チェックをまとったヒゲのおじさんのバグパイプが出迎えてくれた。 余談ながら、ロンドンあたりのバグパイプ吹きを含むバスカーは、人通りの多い道端で演奏し、人々は彼らの楽器箱に小銭を入れてあげるわけだ。しかし、このアークハート城のバグパイプ吹きは荒れた城の上で演奏していた。小銭をあげることも出来ないんだけど、この方は地元のボランティアか、それとも観光局の人なのか...。 イングランドとスコットランドの争奪戦このアークハート城の歴史は、少なくとも13世紀初頭にまで遡る。ハイランドの反乱を鎮圧したスコットランド王アレクサンダー2世が、義理の息子をアークハートの城主として地域の抑えとしたのが西暦1228年。アークハート城には、この時期の遺構も残っている。しかし、その後、この城は侵攻してくるイングランド軍と、それを押し返そうとするスコットランド軍との間の争奪戦の的となったんだ。 13世紀の後半には、イングランド王エドワード1世がアークハート城を攻略。1297年にはスコットランド側のサー・アレクサンダー・フォーブズがアークハート城を奪還。 1303年には、イングランド王エドワード1世が再びアークハート城を攻略。しかし、スコットランド独立の英雄ロバート・ザ・ブルースによって、アークハート城が奪還された。(下の画像は現在のアークハート城の様子。)
|
スコットランド王家とマクドナルド一族との争いアークハート城は、イングランドとスコットランドの争奪戦の的となっただけではなかった。14世紀後半からは、スコットランド西部の海岸地帯に強大な勢力を張るマクドナルド一族と、統一を進めようとするスコットランド王家との争いの舞台ともなったんだ。その後、マクドナルド一族の勢いが衰えた時期には、この辺りにも平和が甦ったかに見えた。しかし、16世紀にマクドナルド一族が勢力を盛り返すと、再びネス湖周辺にも戦雲が立ち込めた。このアークハート城も、マクドナルド一族によって二度も攻囲されている。 しかし、17世紀に入ってアークハート城は打ち捨てられてしまった。付近の住民が家を建てるために城の石材を持ち出すこともあったらしい。そして今は、ネス湖観光の目玉の一つとなっている強兵どもの夢の跡である。
関連書籍参考になる・・・かもしれない本を探してみました。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
|