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西暦1350年、中世イスラムの旅行家イブン・バトゥータが、アンダルシアのグラナダ(スペイン)を訪ねた。
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中世イスラムの旅行家イブン・バトゥータと 聖地メッカ巡礼
西暦1304年2月25日、スペインとはジブラルタル海峡をはさんで反対側の北アフリア(現在はモロッコ)に、イブン・バトゥータが生まれた。この人物が後に中世イスラムの歴史のみならず世界史にも名を残す大旅行家になるんだ。
イブン・バトゥータが旅を始めたのは西暦1325年のこと。彼が21歳の年だった。北アフリカを東に向かったイブン・バトゥータは、翌年にはエジプトに到着。その年の夏には初めての聖地メッカ巡礼を果たしたんだ。
イブン・バトゥータの長い長い旅
初めての聖地メッカ巡礼を終えて故郷へ戻っていれば、イブン・バトゥータが世界史に名を残すこともなかったよね。ところが、彼はそこから長い長い旅を始めたんだ。
翌年の西暦1327年に聖地メッカを発したイブン・バトゥータは、イラク、イランを旅した後に再び聖地メッカに戻っている。しばらくメッカに滞在した後、西暦1330年に再び旅に出たイブン・バトゥータは、イエメン、アラビア、イランを経て西暦1332年にメッカに戻る。
しかし、年も改まらないうちにメッカを出発したイブン・バトゥータは、エジプト、小アジア(現在のトルコ)、ロシアを周り、西暦1333年にはコンスタンティノープル(現在のトルコ領イスタンブール)に到着している。
上の画像は現在のイスタンブール(当時のコンスタンティノープル)にあるアヤ・ソフィア大聖堂にあるモザイク画。イブン・バトゥータが旅した頃のコンスタンティノープルは、ビザンティン帝国の首都だった。上の画像にあるモザイク画は、ビザンティン帝国時代の空気を伝えているかな。
イブン・バトゥータはインド・中国へ
イブン・バトゥータが故郷を離れて既に8年。でも、彼の旅はまだまだ続く。当時はビザンティン帝国の首都だったコンスタンティノープルを出発した彼は、インドのデリーに到着。
インドでスルタンに使えていた彼は、西暦1342年にイブン・バトゥータはインドを出発。スルタンの命により、使節として中国へと向かったんだ。
ところが海難事故に遭った彼は一時はモルディブ諸島に滞在。やがてセイロンやスマトラを経て、元朝支配下の中国に到達した。(余談ながら、イタリアのヴェネツィア出身のマルコ・ポーロは、西暦1275年に北京で元朝皇帝フビライ・ハーンに謁見している。)
故郷へ戻ったイブン・バトゥータ
インドのスルタンの命によって使節として中国にまで旅をしたイブン・バトゥータ。インドやイランを経て聖地メッカにまで戻ってきたのが西暦1348年のこと。
更に西に向かったイブン・バトゥータが故郷のタンジール(現モロッコ領)に戻ってきたのは西暦1350年のこと。聖地メッカを目指して故郷を出発してから、既に25年が経っていた。イブン・バトゥータの両親のみならず、友人たちの多くも亡くなっていたらしい。ここで大旅行家イブン・バトゥータも旅の杖を捨てることを誓ったんだそうな。
イブン・バトゥータがグラナダに滞在
西暦1350年に故郷に戻り旅の杖を捨てたはずのイブン・バトゥータ。ところが、その年の内に彼はジブラルタル海峡を渡り、アンダルシア(スペイン南部)に向かったんだ。
ジブラルタルからマラガを経て、イブン・バトゥータがグラナダに滞在した。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の結果、イベリア半島に最後に残ったイスラム王国ナスル朝の首都だね。
上の画像は、現代のグラナダの街の様子なんだ。丘の上のホテルから撮ったんだけど、遠くの山々は朝もやにけむっているね。
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