ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1522年、オスマン・トルコ軍が聖ヨハネ騎士団の本拠地ロードス島に侵攻した。


聖ヨハネ騎士団が要塞化したロードス

聖ヨハネ騎士団がロードスに築いた城壁(ギリシャ) 西暦1308年にロードス島を根拠地とした聖ヨハネ騎士団は、イスラム教徒との戦いを続けながらも、本拠地ロードスを要塞化していった。

左の画像は、現在のロードス市の周辺を取り囲む城壁の様子なんだけど、オスマン・トルコの猛攻に耐えることが出来るように、極めて強固な城壁となっていたんだ。

メフメト2世時代のオスマン・トルコの攻撃

聖ヨハネ騎士団がロードスに築いた騎士団長宮殿(ギリシャ) しかし、海を中心とする聖ヨハネ騎士団のイスラム教徒への攻撃は、領土を広げるオスマン・トルコにとっては、軍事的・経済的・政治的にガマンできないものだった。

その結果、オスマン・トルコのスルタンだったメフメト2世の命により、西暦1480年にオスマン・トルコ軍がロードスに上陸し、聖ヨハネ騎士団の城砦に攻撃を加えた。(右の画像は、聖ヨハネ騎士団の守りの中心たる騎士団長宮殿。)

しかし、強固な守りと侵攻の力によって聖ヨハネ騎士団は耐え抜き、オスマン・トルコの大軍は為すところ無く退却していったんだ。

スレイマン大帝指揮下のオスマン・トルコ軍の侵攻

それから42年後の西暦1522年夏、スレイマン大帝指揮下のオスマン・トルコの大軍がロードス島に上陸した。聖ヨハネ騎士団は再び城砦を頼りに守りを固める。

聖ヨハネ騎士団がロードスに築いた騎士団長宮殿の内部(ギリシャ) しかし、今度のオスマン・トルコ軍の攻撃は前回とは違っていたんだ。十分な兵站を整え、強大な火力を持ち、しかもスルタン自らが固い決意を胸に大軍を指揮していた。

攻めに攻めるオスマン・トルコ軍。耐えに耐える聖ヨハネ騎士団。騎士団長宮殿の内部の壁には、「耐える、耐える、耐える」と書いてあった。(右の画像)

しかし、守り続けること半年。騎士団の消耗は激しかった。しかも、キリスト教諸国からの援軍は来ない。協力的だったロードスの市民達も戦いに倦んできた。

断固として守り抜く決意を抱いていた聖ヨハネ騎士団長リラダンも、ついに抗戦を諦め、西暦1522年12月25日にオスマン・トルコに対する名誉ある降伏を受け入れたんだ。

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ロードスを明け渡した聖ヨハネ騎士団

そして西暦1523年1月1日、ロードスを明け渡した聖ヨハネ騎士団の艦隊が港を出て行った。ついにロードス島はオスマン・トルコの支配するところとなったわけだ。

但し、聖ヨハネ騎士団のイスラム教徒との戦いがこれで終わったわけではない。その後、新たな根拠地を得た聖ヨハネ騎士団はイスラムとの戦いを続け、やがては仇敵オスマン・トルコのスレイマン大帝に一矢を報いることになる。それはまだ先の話だけどね。(詳しくは、旅行記集「イタリア三昧+マルタ」の中にある旅行記「聖ヨハネ騎士団の島 マルタ」を読んでね。)



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