ブルボン家に王位をもたらしたアンリ4世16世紀後半のフランスは、新旧両派の争いが続く宗教戦争の混乱の真っ只中にあったんだ。そんなフランスの王位を1589年に獲得したのが、プロテスタント(ユグノー)でブルボン家出身のアンリ4世だった。ある意味ではアンリ4世は非常に運が良かったのかもしれない。16世紀後半のフランスの王家ヴァロワ・アングレーム家では、アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディチ(イタリアの古都フィレンツェの名門メディチ家の出身)との間に4人もの王子が生まれていたんだ。でも、その4人が4人共に若死にしちゃった。その結果、新教徒でありながらもヴァロワ・アングレーム家の遠縁に当たるアンリ・ド・ブルボン(アンリ4世)に王位が転がり込んだというわけだ。 但し、王位を得た後もアンリ4世は苦労している。旧教徒(カトリック)の人々は、新教徒(ユグノー)であるアンリ4世の王位継承を認めようとしなかったんだ。そして、1593年、アンリ4世はカトリックに改宗した。それから5年後、ようやくアンリ4世がフランスの宗教戦争を終わらせることが出来た。
しかし、西暦1610年、狂信的なカトリックによって、アンリ4世が暗殺された。右の画像はフランス王家の墓地のあるサン・ドニ聖堂の地下にあるアンリ4世の墓碑。映画「マルゴー」に登場するアンリ4世のイメージとはちょっと違っているね。 |
アンリ4世の敵役 カトリーヌ・ド・メディチ映画「マルゴー」の中でアンリ4世の敵役の一人となっているのが、カトリーヌ・ド・メディチだよね。彼女は、アンリ4世がフランス王となった1589年に亡くなっているんだ。イタリアはトスカナ地方の街フィレンツェの名門メディチ家に生まれたカトリーヌ・ド・メディチは、1533年にフランスのアンリ2世と結婚。その後、夫のアンリ2世、息子たちフランソワ2世・シャルル9世・アンリ3世は次々とフランス王となった。 ところが、その頃のフランスは宗教戦争で大荒れ。しかも、夫や息子たちは次々と死んでいく。しかも、旧教徒に人気のあるギーズ公は、王をもしのぐ権勢を誇っていた。 自分の嫁いだヴァロワ・アングレーム家の王位を守るため、1572年には娘のマルグリット(マルゴー)をアンリ・ド・ブルボンに嫁がせ、聖バルテルミーの虐殺を引き起こし、...カトリーヌは必死で陰謀をめぐらせ続けた。しかし、結果的にはユグノーのアンリ・ド・ブルボンに王位が転がり込んでしまったわけだ。 おそらくカトリーヌ・ド・メディチは失意のうちに亡くなったんだろうな。そして、フランス王家の墓地のあるサン・ドニ聖堂に葬られた。下の画像は、そのカトリーヌ・ド・メディチの墓碑。
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