ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1725年、ロシアを北方の強国に育て上げたピョートル大帝が亡くなった。


強国ロシアの英雄 ピョートル大帝

ロシアの古都サンクト・ペテルブルグに立つピョートル大帝像(青銅の騎士の像) 西暦1725年、ロシアを北方の強国に育てたあげたピョートル大帝が亡くなった。

右の画像は、1782年にロシアの女帝エカテリーナが立てた「青銅の騎士の像」。ピョートル大帝の騎馬像なんだ。

この画像では見えないけど、彼の乗馬の後ろ足は蛇を踏みつけている。その蛇は、当時のロシアの強敵スウェーデンを象徴しているらしい。

余談なんだけど、ヨーロッパ世界あるいはキリスト教世界では伝統的に敵あるいは異教徒は蛇や竜(ドラゴン)で象徴されるんだろうな。というのも、例えば、キリスト教の戦士として名高い聖ジョージの敵は竜(ドラゴン)だった。また、イタリアの首都ローマにあるボルゲーゼ美術館で見ることの出来るカラヴァッジョの「馬丁たちの聖母」では、幼いキリストが蛇を踏みつけているね。

操り人形の皇帝ピョートル1世(大帝)がクーデター

かつてのロシア帝国の英雄として人気の高いピョートル大帝。でも、その生涯のスタートは、必ずしも順風満帆だったわけじゃないんだ。

西暦1682年に10歳のピョートルがロシア皇帝(ツアー)として即位した。但し、異母兄イヴァン5世と同格の共同統治者に過ぎず、実権を握っていたのは異母姉ソフィアだった。

西暦1689年、ピョートル1世(ピョートル大帝)がクーデターを起こし、共同皇帝イヴァン5世を退位させ、摂政ソフィアを修道院に幽閉し、実母のナターリャを摂政とした。

でもさ、当時のピョートル1世は16歳なんだ。こんなクーデターを演出することが出来るのかな。本当のところは、実母ナターリャとその側近達が、実権を握るためにピョートル1世を錦の御旗に立ててクーデターを起こしたのが真相じゃないかと思うけど。

ピョートル大帝の戦いと
ロシアの首都サンクト・ペテルブルクの建設

西暦1694年、実母にして摂政ナターリャの死に伴い、22歳の皇帝ピョートル1世の親政が始まった。

西暦1696年、ピョートル大帝が変名を使って外遊した。オランダやイギリスで航海技術を学び、またオーストリアやポーランドを訪れた。しかし、外遊中の西暦1698年に軍の一部が反乱を起こしたためにロシアに帰国し、軍の再編と粛清を行ったんだそうな。

西暦1700年、オスマン・トルコとの和平を成立させたピョートル大帝は、ポーランド・デンマークと同盟して、スウェーデンに対する「北方戦争」を開始した。しかし、ナルヴァの戦いにおいて、劣勢のスウェーデン軍に惨敗を喫した。

ピョートル大帝が築いたロシアの古都サンクト・ペテルブルグのペトロパブロフスク要塞 西暦1703年、スウェーデン軍を破り、ネヴァ川の河口付近を確保したピョートル大帝は、そこにサンクト・ペテルブルクの建設を命じた。

右の画像はサンクト・ペテルブルクを流れるネヴァ川のザーヤチ島(ウサギ島)にあるペトロパブロフスク要塞。

西暦1709年、ポルタヴァの戦いでスウェーデン軍を破った。敗れたスウェーデン王カール12世はオスマン・トルコに逃れた。他方、軍事力を拡大し、急激な改革を行うピョートル大帝に対して、ロシア国内で反乱が頻発した。

西暦1710年、スウェーデン王カール12世の説得に応じたオスマン・トルコが、ピョートル大帝のロシア帝国に戦いを仕掛けた。

西暦1711年、オスマン・トルコに惨敗したピョートル大帝は、アゾフ海への進出を断念し、オスマン・トルコと講和。

西暦1713年、ロシア艦隊がスウェーデン艦隊を撃ち破り、ロシアはバルト海での勢力を拡大した。

西暦1714年、ロシアの貴族階級の再編を行った。

西暦1716年、ピョートル大帝が二度目の外遊を行い、プロシア・オランダ・フランスなどを歴訪した。

西暦1721年、スウェーデンとの間にニシュタットの和約が成立し、バルト海周辺の勢力図はロシアに有利に確定した。ロシアの元老院は、ピョートル1世に「インペラトール(皇帝)」「ヴェリーキー(大帝)」の称号を送った。

西暦1723年、ピョートル大帝がカスピ海に大軍を派遣し、バクー(現在のアゼルバイジャンの首都)などを占領した。

西暦1725年、過労の果てにロシア帝国のピョートル大帝が亡くなった。

ピョートル大帝が建てたペテルゴフ宮殿

サンクト・ペテルブルク市内を流れるネヴァ川のほとりの船着場で水中翼船に乗り、バルト海を突っ走ること約30分。フィンランド湾に面した土地にピョートル大帝の建てたペテルゴフ宮殿(あるいはペテルホフ、またはペトロヴァレツ)がある。下の画像がその正面の様子だ。

ロシアのピョートル大帝が築いたペテルゴフ離宮(あるいは、ペテルホフ、パトロヴァレツ)

フランス王ルイ14世(太陽王)パリ郊外に建てたヴェルサイユ宮殿を意識して建てられたペテルゴフ離宮は、広大な庭に囲まれていて、たくさんの噴水も設けられている。初夏の散歩には最適の離宮だよ。

しかし、長年の戦争を戦い抜き、帝国の内政にも取り組み、あげくのはてに過労で亡くなったピョートル大帝。彼にはこのペテルゴフ宮殿でのんびり楽しむ時間はあったんだろうか。

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