ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦451年、ゲルマン系アレマン人の侵入に続くフン族の通過により、アルザス地方(今はフランス領)の街ストラスブールが壊滅した。


ゲルマン系アレマン人

ゲルマン系のアレマン人(あるいはアラマンニ人)は、古代ローマ帝国の時代に今のドイツの中南部からスイスにかけての地域に住んでいたと考えられる人々なんだそうな。

但し、その民族的な詳細ははっきりとわかっているわけじゃないらしい。ケルト系の人々や古代ローマ人などとも混血していると言われるし、ゲルマン系の様々な集団の混成によって形成されたとも考えられる。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館にある古代ローマ帝国のカラカラ帝の胸像

そんなドイツ中南部のアレマン人に対して、暴君として悪名高い古代ローマ帝国のカラカラ帝が軍団を送り、勝利を得たらしい。(上の画像はイギリスの首都ロンドン大英博物館古代ローマ関連のコーナーにあるカラカラ帝の胸像。)

でも、その結果として以後のアレマン人は古代ローマ帝国に対して激しい敵意を抱き続けることになったんだそうな。それが後の古代ローマ帝国の危機を惹き起こすことになる。

アレマン人の攻勢とローマのアウレリアヌス城壁

カラカラ帝のアレマン人に対する勝利から半世紀後の西暦270年、古代ローマ帝国皇帝アウレリアヌスはゲルマン系ヴァンダル族に対処する為に軍団を率いてハンガリーにいた。その隙につけこんだアレマン人は、イタリア北部に侵入を始めたんだ。

皇帝アウレリアヌスは急いでイタリアに戻った。西暦271年のことだった。ところが、アレマン人の待ち伏せに皇帝軍は敗れてしまった。そんな敗北の報せを受けたローマの人々は、蛮族の襲来を怖れて戦慄したらしい。

でも、後に古代ローマ帝国を建て直すことに成功する皇帝アウレリアヌスは、再びアレマン人に戦いを挑み、勝利を得ることが出来た。その敗北によってポー川の北へ退いたアレマン人を更に打ち破った皇帝アウレリアヌス。結局はアレマン人はアルプスの北へと撤退していったんだ。

イタリアの首都ローマに残る古代ローマ帝国時代の皇帝アウレリアヌスの城壁

しかし、古代ローマ帝国の守りも磐石とはいえないことも明らかになった。それを悟った皇帝アウレリアヌスがローマに築いたのが、上の画像にあるアウレリアヌス城壁なんだ。

イタリアからはるか北のブリテン島(イギリス)にまで進出し、ハドリアヌスの長城(今のイングランドとスコットランドとの国境付近に残る)を築いた頃に比べて、古代ローマ帝国が守勢に陥っていたことを如実に示すのがこのアウレリアヌス城壁なのかもしれないね。

余談ながら、19世紀に成立した統一イタリア王国が最後に残ったローマ教皇支配下のローマを占領する際に、ローマ教皇軍と王国軍との戦闘があったのも、このアウレリアヌス城壁付近だったらしいよ。

アルザス地方を占領したアレマン人

古代ローマ帝国皇帝アウレリアヌスに敗れてイタリアからアルプスの北に戻ったアレマン人だった。でも、彼らがそのまま大人しくしていたわけじゃない。しばしばアルザス地方(今はフランス領)に侵攻したんだ。

例えば西暦366年には、凍りついたライン川を越えたアレマン人が大挙してアルザス地方になだれ込んで来たらしい。その侵入は古代ローマ帝国軍によって押し返されたらしいけどね。

ところが、古代ローマ帝国の本拠地であるイタリアに西ゴート族が侵入してきた。その西ゴート族に対してイタリアを防衛する為に、アルゲントラトゥム(後のストラスブール)に駐屯していた軍団をイタリアに移動させたのが西暦405年のこと。残されたアルザス地方は空き家になってしまった。

フランス東部アルザス地方のワインの街リクヴィールのブドウ畑

そんなアルザス地方にアレマン人が一気に侵入して来たのが西暦406年のこと。(上の画像はアルザス地方のリクヴィールの街の周囲に広がるブドウ畑。アルザスを代表するワイン生産地がリクヴィールなんだけど、そのワイン生産は古代ローマ帝国時代から始まったものらしい。)

アレマン人に続いて、ブルグント族、ランゴバルド族、そしてフン族

ドイツ中南部からアルザス地方に侵入したアレマン人に続いて、ゲルマン系のブルグント族やランゴバルド族がアルザス地方を通過して行った。(ブルグント族はフランス東部のブルゴーニュ地方に定住して名を残し、ランゴバルド族はイタリア北部ロンバルディアに侵入して名を残したわけだ。)

ところが、アルザス地方の混乱はそれで終わりはしなかった。西暦451年、フン族がアルザス地方を通過して行ったんだ。古代ローマ帝国が築いたアルゲントウアトゥム(今のストラスブール)の街も壊滅したらしい。

フランス東部アルザス地方の中心都市ストラスブールにあるノートルダム大聖堂

上の画像は今のアルザス地方の中心都市ストラスブールにあるノートルダム大聖堂(ストラスブール大聖堂)の西側正面ファサードの入り口の様子。かつてここには古代ローマ帝国時代の神殿があったんだそうな。それもアレマン人からフン族の侵入の間に破壊されたんだろうね。

そんなこんなで東からの歴史の波が何度も押し寄せたアルザス地方なんだけど、その後のアルザス地方はアレマン人の王国の領土となっていた。でも、そのアレマン人の王国は西暦496年にはクローヴィス王のフランク王国によって征服されている。

他方でアレマン人の貴族たちはフランク王国や神聖ローマ帝国の中で生き続けたらしい。神聖ローマ帝国の皇帝家となったハプスブルク家や、プロシア王国の王家となったホーエンツォレルン家などは、アレマン人の貴族の家系だとする考えも有るんだそうな。

ちなみに、フランク王国に征服されたアルザス地方なんだけど、やがて神聖ローマ帝国の領土となった。でも、フランス王ルイ14世太陽王によって併合され、普仏戦争の後にはドイツ帝国の領土となり、第一次世界大戦後にはフランス領となり、第二次世界大戦においてはドイツに占領されたものの戦後はフランスに復帰している。

そんなアルザス地方の中心都市ストラスブールには欧州議会なども設置されている。歴史の荒波に翻弄され続けてきたアルザス地方こそ、欧州の統合と平和を図る土地として最適だよね。

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