古代ローマ皇帝ハドリアヌスとサンタンジェロ城西暦123年、古代ローマ皇帝ハドリアヌスが、お膝元であるイタリアのローマに皇帝の墓を建てることを命じた。その墓が完成したのが西暦139年のこと。皇帝ハドリアヌスの死の翌年のことだった。以後、西暦217年まで、この墓には歴代の皇帝が葬られることとなった。その後、皇帝の墓には小さな礼拝堂が建てられていたが、10世紀頃からはヴァティカンのローマ法王のための軍事要塞として使われ始めた。それが現在のサンタンジェロ城(カステル・サンタンジェロ)なんだ。 法王の前に姿を見せた大天使 聖ミカエル
ローマにペストが流行していた西暦590年、現在のサンタンジェロ城の近くを歩いていた法王グレゴリウス1世の前に大天使 聖ミカエルが姿を見せた。大天使はペストの流行が終わることを告げるために現れたらしい。この城がサンタンジェロ(聖天使)と呼ばれるのは、法王の前に姿を見せた大天使 聖ミカエルに由来するんだ。(右の画像はサンタンジェロ城の上に立つ聖ミカエルの像。) 神聖ローマ皇帝軍の略奪とサンタンジェロ城ところで、下の画像をじっくりと見てほしい。
この画像はサンタンジェロ城の上にあるテラスから撮影したものなんだけど、画像の左上にはサン・ピエトロ大聖堂が見えるね。そこから右下に向かって伸びているのがレオニーネの城壁なんだ。 サン・ピエトロ大聖堂からサンタンジェロ城までつながっているレオニーネの城壁の中には、ローマ法王が逃げるための通路が設けられている。 この通路が使われたのが西暦1527年のこと。トスカナ大公コシモ1世の父である黒備えのジョヴァンニを前年に戦死させて進撃してきた神聖ローマ帝国軍が、西暦1527年5月にローマに入り、劫略を働いた。 その際、メディチ家出身の法王クレメンス7世は、レオニーネの城壁の中にある通路を通ってサンタンジェロ城に逃れ、難を免れたというわけだ。 サンタンジェロ城内にて...
以上でこのページの主題は終わりなんだけど、ついでだから右の画像を見てくれるかな。観光客がいたずらをしていないか、壁のドアから監視しているサンタンジェロ城の係員...に見えるかな。実は、この画像はサンタンジェロ城内の壁の絵を撮影したもの。騙し絵というわけだ。ヴァティカンもなかなか茶目っ気があるんだね。 |
ローマの観光名所 サンタンジェロ城最後になっちゃったけど、イタリアの首都ローマの観光名所の一つサンタンジェロ城の様子をお見せしておこうか。下の画像はサンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城の現在の様子。この日は観光客も少なくて楽だったねえ。
サンタンジェロ城の屋上テラスからローマを見渡すのも楽しいよ。下にはティベレ川、遠くにはヴェネツィア広場のヴィットリオエマヌエーレ2世記念堂も見えたりするんだ。
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