失職したニッコロ・マキャベリの冤罪西暦1512年、イタリアの古都フィレンツェにメディチ家が復帰すると、共和政のために働いてきたニッコロ・マキャベリは書記の職を失ってしまった。ところが、運命の女神はマキャベリに対して更に残酷だった。西暦1513年には、当時のフィレンツェを統治していたジュリアーノ・デ・メディチ(豪華王ロレンツォ・デ・メディチの三男)に対して暗殺を企てたという陰謀事件の容疑者の一人とされ、投獄拷問までされてしまったんだ。実は全くの冤罪だったらしいんだけどね。 拷問の挙句に有罪判決を受けたニッコロ・マキャベリだったんだけど、ここでちょっと微笑むところが運命の女神のに憎いところ。メディチ家のジョヴァンニ・デ・メディチが法王レオ10世となり、それを祝した恩赦によってマキャベリも刑を免れることが出来たんだ。 ニッコロ・マキャベリの再就職活動しかし、貧乏貴族の息子のニッコロ・マキャベリとしては働かなくては食べてはいけない。フィレンツェから11kmほどのところにある山荘に隠棲しながらも、再就職のための活動をしていたらしい。特にメディチ派の知人フランチェスコ・ヴェットーリに対しては、自分や弟のメディチ家への仕官の口利きを手紙で頼んだらしい。しかし、その甲斐も無く、再就職は成功しなかったんだけどね。 失業者ニッコロ・マキャベリが著した「君主論」失業して山荘に隠棲していたニッコロ・マキャベリは、子供の頃から学んだ知識と、フィレンツェの書記として働いた頃の外交経験を活かして、あの有名な「君主論」を著した。「君主論」の中でマキャベリは同時代の著名人に関する論評も行っている。例えばスペイン王フェルディナンド2世に関しては、大きな仕事を成し遂げて社会の評価を得た人物としてほめてあるね。 ちなみにアラゴン王家出身のフェルディナンド2世は、カスティリア王家の女王イザベラと結婚して統一スペイン王となり、西暦1492年にはグラナダのイスラム王朝を征服している。(下の画像は、スペイン南部アンダルシア地方の街グラナダにある王家の礼拝堂の中のカトリック両王=フェルディナンド2世とイザベラ女王の墓碑。)
その他にも、運命の力を得てなりあがったチェーザレ・ボルジアや、言葉の力を使ってフィレンツェの実権を握ったサヴォナローラなどがマキャベリの「君主論」の中で一定の評価を得ているね。 「君主論」をロレンツォ・デ・メディチに献呈ニッコロ・マキャベリは西暦1513年から「君主論」を著し始め、完成したのは西暦1515年秋から1516年夏頃のことらしい。そして彼は自信作「君主論」をメディチ家嫡流のロレンツォ・デ・メディチ(小ロレンツォ)に捧げたんだ。もちろん、再就職活動の一環だった。
その小ロレンツォが「君主論」をどのように評価してかはわからないんだけど、ともかく小ロレンツォは西暦1519年に亡くなってしまった。(右の画像はフィレンツェのサン・ロレンツォ教会にあるミケランジェロ作の小ロレンツォ公墓碑。)ちなみに、この小ロレンツォの死をもってメディチ家兄脈嫡流男系は途絶えてしまった。 まだまだ続くマキャベリの著作活動「君主論」をロレンツォ・デ・メディチに献呈した後も、ニッコロ・マキャベリの著作活動は続いている。(つまり、再就職活動はうまくいかなかったわけだ。)この時期の彼の著作をいくつか挙げれば、「ディスコルシ」「戦争の技術」「フィレンツェ史」「マンドラーゴラ」「クリツィア」「大悪魔ベルファゴール」「黄金のろば」。題名が興味深いけど、彼は喜劇・寓話・叙事詩なども著していたんだ。 ついでながら、マキャベリは「ディスコルシ」の中でローマ法王庁を非難している。つまり、イタリアを統一して国を守る力も無いくせに、他方で他の国がイタリアを統一する邪魔はしているというわけだ。(下の画像はイタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂横の法王の宮殿。)
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