ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1527年、ヴァロア朝のフランス国王フランソワ1世が、パリのルーブル要塞(今は美術館)を王宮と定めた。


フランスの首都パリの誇るルーブル美術館

フランスの首都パリのルーブル美術館にあるミロのヴィーナス フランスの首都パリを訪ねる人の大部分が目指すのが、ルーブル美術館かな。イギリスの首都ロンドンにある大英博物館と並んでヨーロッパ有数のミュージアムだよね。

もちろん大きさだけじゃなく、ミロのヴィーナス(右の画像)やダヴィンチのモナリザなど、展示品だって世界に誇るものがある。

そんなルーブル美術館がオープンしたのは、フランス革命真っ最中の西暦1793年のこと。

王宮となったルーブル要塞

じゃあ、美術館としてオープンする前のルーブルって何 ?? というのが、このページのテーマなんだ。

ものの本によれば、このルーブルに要塞が築かれたのは西暦1190年のこと。カペー朝のフランス国王フィリップ2世が建てさせたんだそうな。その目的は、当時ノルマンディーを領有していた当時のイングランド王はプランタジネット家のリチャード獅子心王からパリを守ることだったらしい。

その後、歴代のフランス国王たちはロワール川沿いの城を転々と移り住んでいた。そして西暦1527年、ヴァロア朝のフランス国王フランソワ1世が、パリの中心にあるルーブル要塞を王宮として使うことに決めたんだ。(下の画像は現在のルーブル美術館。)

フランスの首都パリにあるルーブル美術館(かつては王宮)




その後のルーブル王宮と美術館

フランス国王の王宮とされたルーブル宮殿なんだけど、西暦1682年に太陽王ルイ14世はヴェルサイユ宮殿に宮廷を移してしまった。フランス王家に見捨てられたルーブル宮殿は、やがて荒れ果ててしまったんだそうな。

ところが西暦1789年、フランス革命が勃発した。皮肉なことに、革命の結果として荒れ果てていたルーブル宮殿は、王家の集めた美術品を展示するための美術館として甦ることとなった。そして西暦1793年、ルーブル美術館がオープンしたわけだ。

その後もフランスでは動乱の時代が続く。西暦1815年にはナポレオンがワーテルローの戦いに敗れて皇帝の位を失い、復活したフランス王家も西暦1830年の7月革命によって王座を失うこととなったんだ。(下の画像は、ルーブル美術館に展示されているドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」なんだけど、西暦1830年の7月革命を描いている。)

フランスの首都パリのルーブル美術館に見るドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」 フランスの首都パリのルーブル美術館に見るドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」 フランスの首都パリのルーブル美術館に見るドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」 フランスの首都パリのルーブル美術館に見るドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」

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