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西暦1236年、後ウマイヤ朝の古都コルドバ(スペイン)が、レコンキスタによってキリスト教徒に奪回された。
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後ウマイヤ朝の古都コルドバ(スペイン)
スペイン南部アンダルシアの街コルドバは、西暦756年にアブドゥッラフマーン1世が後ウマイヤ朝を建国して以来、スペインのイスラム教徒の都となったんだ。
その後、後ウマイヤ朝が衰退した後も、このコルドバの街はスペインにおけるイスラム文化の中心で有り続けた。今もコルドバ市内を歩けば、スペインに花開いた中世イスラム文化の残り香を見ることができるよ。
例えば右の画像に写っているオレンジの中庭と免罪の門塔も、中世イスラム教徒の手によるものだね。
レコンキスタ(国土回復運動)と
キリスト教徒によるコルドバ奪回
他方、一時はスペイン全土を制圧する勢いのイスラム教徒に圧倒されていたキリスト教徒は、次第に体勢を立て直し、イスラム教徒の手からイベリア半島を奪い返すレコンキスタ(国土回復運動)を押し進めていた。
そんなキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の圧力が、イスラム教徒の古都コルドバにも次第に押し寄せてきたんだ。例えば、西暦1182年にはカスティリアの王アルフォンソ8世がコルドバ付近に布陣している。(カスティリア王アルフォンソ8世は西暦1195年にもコルドバ付近に軍を布陣して大敗しているんだけど。)
西暦1212年には、カスティリア・ナバラ・アラゴンの連合軍が、ラス・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝に大勝したんだ。これでスペインのイスラム教徒は一気に劣勢にたたされることとなった。
そして西暦1237年、レオン・カスティリア連合王国の王フェルナンド3世が、奇襲攻撃によりコルドバを占領。イベリア半島のイスラム教徒は重要な拠点のひとつを失ったわけだ。
キリスト教の聖堂とされた コルドバのメスキータ(回教寺院)
キリスト教徒によって奪回されたコルドバでは、イスラム教徒の多くが追放され、後ウマイヤ朝の開祖アブドゥッラフマーン1世ゆかりの大マスジドあるいはメスキータ(回教寺院)もキリスト教の聖堂とされちゃった。
上の画像はコルドバのメスキータの内部の様子なんだけど、アーチと円柱が特長だよね。後ウマイヤ朝の開祖アブドゥッラフマーン1世による創建の後も、歴代の後ウマイヤ朝の支配者達がメスキータを増築し、円柱の数はピーク時には1012本にまで達したんだそうな。
ところがコルドバを奪回したキリスト教徒がメスキータをキリスト教の聖堂に改築した際、円柱の一部は取り壊され、その後に下の画像に見るキリスト教の祭壇が築かれている。
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