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西暦1249年、ポルトガルにおいてレコンキスタ(国土回復運動)が完了した。
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レコンキスタ(国土回復運動)と ポルトガル王国の成立
ポルトガルは、ある意味ではイスラム教徒に対するレコンキスタ(国土回復運動)から生まれてきた国だよね。
ことの始まりは9世紀のこと。西暦868年、アストゥリアス国王アルフォンソ3世が、イスラム教徒からポルトカレの街を奪い取った。街はヴィマラ・ペレス伯爵に与えられた。
そして、伯爵の子孫であるメンデス家は、ポルトカレ周辺に勢力を拡大していったんだ。
西暦1096年、カスティリア王女テレサと結婚したブルゴーニュの騎士アンリ(ポルトガルではエンリケ)が、ポルトカレ伯爵エンリケ・デ・ボルゴーニャとなった。
その息子ドン・アフォンソ・エンリケスは、ポルトカレ周辺の貴族たちの支持を集め、ポルトカレ伯領の自立的傾向が強まった。西暦1131年、ポルトカレ伯アフォンソ・エンリケスがコインブラに軍を進め、レコンキスタに参加した。
西暦1143年、カスティリアとの間に結ばれたサモラの条約により、ポルトガルが王国となった。以後、ポルトカレ伯アフォンソ・エンリケスは、ポルトガル王アフォンソ1世と称した。
ポルトガル国内でのレコンキスタ(国土回復運動)
西暦1147年、聖地に向かっていたイギリス艦隊の協力を得たポルトガル王アフォンソ1世が、イスラム教徒の手からリスボンを奪い取った。
西暦1185年、ポルトガル王サンショ1世が、イスラム教徒からアルガーヴの街シルヴェスを奪った。しかし、その5年後には、ムワッヒド軍の支援を得たイスラム教徒がシルヴェスを奪還している。
西暦1212年、ポルトガル・アラゴン・ナヴァラ・カスティリアなどの連合軍が、ラス・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド軍を破った。
西暦1249年、ポルトガル王アフォンソ3世が、ファロとシルヴェスの街を占領し、南部のアルガーヴからイスラム勢力を駆逐し、ポルトガル国内でのイスラム教徒に対するレコンキスタ(国土回復運動)を完了させた。
レコンキスタと城壁の街オビドス
レコンキスタが進み、キリスト教徒の土地が広がる過程でも、イスラム教徒側の反撃はあるよね。
そんなアラブ人やベルベル人の襲撃を防ぐために、キリスト教徒が新たに征服した街には城壁が築かれたんだ。(右の画像はオビドスの城壁。)
リスボンの北 60kmあまりのところにある街オビドスの城壁(右の画像)も、イスラムの襲撃から街を守るために築かれたものなんだ。
キリスト教徒がオビドスを占領したのが 12世紀。その直後に城壁も築かれたと言われている。但し、今の城壁は1375年のものらしいけど。
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